[ジュニアライターがゆく] 広める 守る 被爆樹木
24年12月2日
原爆の熱線や爆風(ばくふう)、放射線(ほうしゃせん)にさらされながら79年間生きてきた「被爆樹木」。広島市は、爆心地(ばくしんち)からおおむね2キロ以内で被爆した159本を登録しています。これらを大切に育てるとともに、被爆樹木から採取した種や、種から育てた苗木(なえぎ)を平和のシンボルとして世界に広めている人たちがいます。中国新聞ジュニアライターは、さまざまに行われている取り組みの一部を取材しました。
イチョウ「2世」苗木 米の植物園へ
世界には、被爆樹木の種から芽を出した「2世」の苗木などが各地に広がっています。広島市の市民団体「グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアティブ(GLH)」は、ユニタール広島事務所(中区)に事務局を置き、種や苗木を海外へ送る活動に10年以上取り組んでいます。
広島城(同)のクロガネモチなどから拾い集めた種を市植物公園(佐伯区)で保管した後、受け取りを希望する大学や公園に届(とど)けます。同事務所の元所長で共同代表のナスリーン・アジミさんは、被爆樹木を通して「自然の美しさや力を感じてもらい、核兵器(かくへいき)に反対する意志を持ってほしい」と話します。
GLHが種や苗木を贈(おく)ったのは40カ国・地域(ちいき)の138カ所です。その一つ、米カリフォルニア州サンディエゴ植物園のアーリー・ノービー園長にテレビ電話で話を聞きました。
5千種を超(こ)える植物を扱(あつか)う全米屈指(くっし)の植物園で、GLHを通じて広島の縮景園(しゅっけいえん)(中区)にある被爆イチョウの苗木を受け取り、昨年、園内に植えました。
「戦争や大きな災害を生き抜(ぬ)いた木を『Witness Trees(証人の木)』と呼(よ)びます。被爆樹木がまさにそうです」とノービー園長。2022年に広島を初めて訪(おとず)れ、市内あちこちで被爆樹木と対面。「犠牲者(ぎせいしゃ)を思い、平和や復興について考えた」そうです。
植物園は、GLHに代わって米国内の団体や公園に種や苗木を送る活動もしています。「カナダやメキシコなど近隣(きんりん)の国にも広めたい」と目標を語りました。
中区・寺のイチョウ
広島市が登録する「被爆樹木」には、神社や寺院のものも多くあります。枯(か)れないよう、丁寧(ていねい)に手入れされています。
浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)の浄西寺(じょうさいじ)(中区)には、大きなイチョウが立っています。本堂の階段(かいだん)の踊(おど)り場を突(つ)き抜けるように伸(の)びています。
副住職の藤枝啓称(ふじえだけいしょう)さん(28)によると、100年以上前の1918年に植樹(しょくじゅ)されました。爆心地から1・4キロで被爆。幹の一部に焼けた跡(あと)が残り、爆心地側の枝は少ないそうです。藤枝さんの祖父である前住職が、門徒(もんと)たちと力を合わせて守ってきました。「被爆樹木を枯らしてはならない。重い責任を感じます」と藤枝さん。3年前にウイルス性の病気にかかりましたが、今は回復傾向(けいこう)にあるそうです。
幹は年々太くなります。成長に合わせて階段の踊り場に開けた穴(あな)を削(けず)って広げたり、枝切りや消毒をしたり、苦労して育てています。イチョウについて知ってもらおうと、昨年から寺でマルシェ(のみの市)を開き、生い立ちを伝える資料を配ったり、枝や落ち葉で作った壁飾(かべかざ)りなどを販売(はんばい)したりしています。
被爆樹木は、一見ほかの木と同じように見えますが、原爆を生き延(の)びた人たちが託(たく)した思いが込(こ)められています。広く伝えれば、市民全体で守っていく機運がもっと高まると感じました。
広島市の取り組み
広島市の取り組みについて市被爆体験継承(けいしょう)担当課長の西田満さんに聞きました。
◇
被爆樹木の保存(ほぞん)が本格化したのは、保存と継承の事業について基本的な考えを定めた1993年度からです。96年度、登録制度を始めました。
木の所有者や地域住民から歴史を聞き取ったり、航空写真や文献(ぶんけん)を調べたりして、その木が本当に被爆樹木であるかどうか調べます。最近では、2022年に中区舟入幸町のクロマツを新たに登録しました。
これまでに枯死(こし)などで28本が減り、現在は159本。木の所有者は、18本が国や県、82本が市です。民間が所有する59本はほとんどが寺や神社にあります。
市は樹木医に委託(いたく)して、1~5年おきに木の状態を調査しています。民間の所有者が土壌(どじょう)改良や消毒剤(しょうどくざい)などをまく場合、病気が進んでいるなど緊急(きんきゅう)の事情があれば、60万円まで補助金(ほじょきん)を出すことがあります。
もちろん、被爆樹木を広めることも大切です。
被爆80年の25年度から、剪定(せんてい)で出た木切れを希望する企業(きぎょう)や団体に配り、活用してもらう事業を始めます。広島市長が会長を務め、世界166カ国・地域の都市が参加する「平和首長会議」は、加盟(かめい)都市に被爆樹木の種や、種から芽を出した「2世」の苗木を配っています。
市のホームページに被爆樹木が立っている場所や、爆心地からの距離(きょり)などを載(の)せています。ぜひ若(わか)い人たちに関心を持って歩いてもらって、情報を国内外に発信してほしいです。
私たちが担当しました
高2相馬吏子、中野愛実、山口莉緒、吉田真結、高1新長志乃、山下裕子、山代夏葵、中3亀居翔成、川鍋岳、行友悠葵、中2山下綾子、中1岡本龍之介が担当しました。
(2024年12月2日朝刊掲載)
【取材を終えて】
~広島市の被爆樹木の取り組みについて~
今回の取材の中で、被爆樹木を残す上で大切なことは「見える」ことだと分かりました。声を聞く被爆証言は想像して心で感じますが、被爆樹木や被爆建物は被爆の実態を視覚で多くの人に訴えることができるものだと思いました。 「伝える証言」は言語の壁がありますが、被爆樹木のような「もの言わぬ証人」は言語の壁を超えて世界の人たちに平等に原爆の恐ろしさを伝えることが出来る点で優れていると思います。今も生き続けているという事実からも伝わるものがあると思います。被爆樹木は、命の力強さやはかなさ、戦争の恐ろしさを多くの人に姿をさらすことで伝える、貴重な証言者であると感じました。(高2中野愛実)
広島市の西田課長の「被爆樹木はもの言わぬ証人である」という言葉が強く印象に残りました。これまでは原爆ドームや平和記念資料館などの建築物という側面でしか詳しく学習してこなかったので、「被爆樹木」という植物が、原爆投下当時の状況を物語っているという新たな視点に気づくことができ、より被爆樹木の特性等を知りたいと思いました。また、被爆樹木を剪定した際に出た木切れを活用する取り組みにも大変興味を持ちました。来年広島は被爆80年を迎えるということで、3センチ以上の木切れを保管し、例えばネクタイピンなどを作って、世界中に被爆樹木の存在を周知してもらうそうです。樹木が倒木したり、病気にかかったりした場合の対応について以前から関心があったので、このように活用されるとお聞きして非常に良い取り組みだと感じました。まだまだ被爆樹木について知らないことも多々あると感じたので、広島市のホームページを確認したり、被爆樹木自体を回ってみたりして様々な視点から「もの言わぬ証人」を追求したいと思いました。(高1新長志乃)
西田課長は、「被爆建物やひばく樹木は『もの言わぬ証人』として今後さらに重要性が増す」と言っていました。私は、被爆建物にはない被爆樹木の特徴について考えました。被爆樹木は、建物とは違ってこれからも成長していきます。被爆建物に残る当時の鮮明な被害を見ることも大切ですが、被爆樹木が原爆を受けてから立ち直った姿を見ることも大切だと感じました。剪定の際に出た枝を有効活用する試みも、実際に生きている樹木だからこその強みだと思いました。ですが、樹木はいつか枯れてしまいます。枯れてしまった樹木も何本もあるそうですが、全ての樹木に樹勢回復措置やモニタリング調査などの対策をしっかり行っていることにも驚きました。被爆者の高齢化が問題になっていますが、原爆が投下された日から強く生きている被爆樹木の姿から得るものも多くあると感じました。(中3川鍋岳)
西田課長の被爆樹木に対する思いがすごく伝わりました。知識量や熱意のこもった説明から、被爆樹木を大切にしていることがひしひしと伝わりました。そして今後、平和大通りなどの道を歩くときは脇にある樹木に注目してみたいと思いました。 (中3行友悠葵)
~浄西寺の被爆イチョウについて~
「どの被爆樹木にもそれぞれの物語があるはず」という藤枝さんの言葉が印象的でした。このイチョウの木にも、前々住職から代々受け継がれた思いが込もっています。さらに、木の保存のための多くの苦労や、マルシェの開催について知ると、ぜひ私も木の保存のために協力したいと感じました。この木ついて知れば、多くの人が私と同じように何か協力したいと考え、マルシェに訪れる人もきっと増えると思います。私たちジュニアライターの発信によって、これまで受け継がれてきた思いをさらに多くの人へ伝え、少しでも木の保存のために力になれたら良いと思いました。(高2吉田真結)
今回の取材で被爆樹木を残す「意義」と「責任」を感じました。浄西寺の被爆イチョウを実際に見て、樹木に残された被爆の生々しい傷跡を肌で感じることができました。爆心地側の幹には枝葉がなく、爆風によって傾いてしまった木の様子も実物を見なければ分からなかったことだと思います。被爆してもなお生き続けている被爆樹木だから残していける原爆の爪痕に保存していく意義を感じました。被爆樹木の持つ意味の大きさに伴って、管理していく責任も大きくなっているとも感じました。長く残すためにも私たちが被爆樹木に関心を持つことが必要だと思います。(高2中野愛実)
民間での被爆樹木の管理の大変さについて深く理解することができました。イチョウは樹齢106年と私の6倍以上も長く生きており、さらに原爆を乗り越えて、生き延びたとても貴重な樹です。こういった重要な樹を未来に残していくために、より多くの人が被爆樹木について知ることが最優先だと思います。そのため、藤枝さんの活動はとても大事なことだと思います。これからも広島に住む人が一丸となり、被爆樹木を守り、育てていくことが大切です。私たちの手で次世代にこの貴重な遺産を引き継いでいきたいです。(高1山代夏葵)
私は、藤枝さんが被爆樹木を使ったキーホルダーなどを作ってマルシェを開催したり、SNSを活用して被爆樹木を発信していることが印象に残りました。これらの企画は藤枝さん自身が考案しているそうで、多くの人に被爆樹木について知ってもらうことができるいい方法だなと思いました。しかし、樹木を保存するための費用がとても高く、集めることが大変だそうです。今回私が知った被爆樹木の保存の大変さを多くの人に知ってもらうために、藤枝さんの発信を私ができる方法で広めて、貴重な被爆樹木を長く残せるよう貢献したいです。(高1山下裕子)
~グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアチブ(GLH)と米サンディエゴ植物園の活動について~
被爆者樹木を世界では“Witness Tree”と言われていることを初めて知りました。被爆樹木は歴史の一部で、被爆樹木から広島の歴史などを教えてくれると言っていて、まさに証言の木だなと感じました。
被爆者クスノキやイチョウの木を送ることは地域ハブとして重要な役割で、ノービーさんが言っていたように、アメリカだけでなくカナダやメキシコ、世界に被爆樹木を送ることで、もっと多くの人に被爆樹木の存在を知ってもらうことができ、興味をもってもらえると私も思いました。このような活動があることを知ったので、もっと調べてみたいと思います。(中2山下綾子)
今回は初めてオールイングリッシュの取材でした。中1の私は英語力がなく、その場で英語が聞き取れなかったのがとても悔しかったです。臨場感がなかったので、頭の中の整理をするのも大変でした。しかしそれがいい経験になったと思います。
ノービーさんは被爆樹木を「歴史の一部」と言い、被爆樹木の種をアメリカ国内でも広く配布しているそうです。2022年に家族で広島を訪れたそうで、「広島の若者たちは素晴らしい人生を送っている」と言っていました。その言葉は、広島に住む私にとって、とても勇気や喜びを与えてくれるものでした。悔しさもあったけれど、成長できたインタビューだったと思います。今回を機に、積極的に英語の取材に参加したいです。(中1岡本龍之介)
証人の木 反核の意志を
イチョウ「2世」苗木 米の植物園へ
世界には、被爆樹木の種から芽を出した「2世」の苗木などが各地に広がっています。広島市の市民団体「グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアティブ(GLH)」は、ユニタール広島事務所(中区)に事務局を置き、種や苗木を海外へ送る活動に10年以上取り組んでいます。
広島城(同)のクロガネモチなどから拾い集めた種を市植物公園(佐伯区)で保管した後、受け取りを希望する大学や公園に届(とど)けます。同事務所の元所長で共同代表のナスリーン・アジミさんは、被爆樹木を通して「自然の美しさや力を感じてもらい、核兵器(かくへいき)に反対する意志を持ってほしい」と話します。
GLHが種や苗木を贈(おく)ったのは40カ国・地域(ちいき)の138カ所です。その一つ、米カリフォルニア州サンディエゴ植物園のアーリー・ノービー園長にテレビ電話で話を聞きました。
5千種を超(こ)える植物を扱(あつか)う全米屈指(くっし)の植物園で、GLHを通じて広島の縮景園(しゅっけいえん)(中区)にある被爆イチョウの苗木を受け取り、昨年、園内に植えました。
「戦争や大きな災害を生き抜(ぬ)いた木を『Witness Trees(証人の木)』と呼(よ)びます。被爆樹木がまさにそうです」とノービー園長。2022年に広島を初めて訪(おとず)れ、市内あちこちで被爆樹木と対面。「犠牲者(ぎせいしゃ)を思い、平和や復興について考えた」そうです。
植物園は、GLHに代わって米国内の団体や公園に種や苗木を送る活動もしています。「カナダやメキシコなど近隣(きんりん)の国にも広めたい」と目標を語りました。
手入れに苦労「重い責任」
中区・寺のイチョウ
広島市が登録する「被爆樹木」には、神社や寺院のものも多くあります。枯(か)れないよう、丁寧(ていねい)に手入れされています。
浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)の浄西寺(じょうさいじ)(中区)には、大きなイチョウが立っています。本堂の階段(かいだん)の踊(おど)り場を突(つ)き抜けるように伸(の)びています。
副住職の藤枝啓称(ふじえだけいしょう)さん(28)によると、100年以上前の1918年に植樹(しょくじゅ)されました。爆心地から1・4キロで被爆。幹の一部に焼けた跡(あと)が残り、爆心地側の枝は少ないそうです。藤枝さんの祖父である前住職が、門徒(もんと)たちと力を合わせて守ってきました。「被爆樹木を枯らしてはならない。重い責任を感じます」と藤枝さん。3年前にウイルス性の病気にかかりましたが、今は回復傾向(けいこう)にあるそうです。
幹は年々太くなります。成長に合わせて階段の踊り場に開けた穴(あな)を削(けず)って広げたり、枝切りや消毒をしたり、苦労して育てています。イチョウについて知ってもらおうと、昨年から寺でマルシェ(のみの市)を開き、生い立ちを伝える資料を配ったり、枝や落ち葉で作った壁飾(かべかざ)りなどを販売(はんばい)したりしています。
被爆樹木は、一見ほかの木と同じように見えますが、原爆を生き延(の)びた人たちが託(たく)した思いが込(こ)められています。広く伝えれば、市民全体で守っていく機運がもっと高まると感じました。
25年度から新事業
広島市の取り組み
広島市の取り組みについて市被爆体験継承(けいしょう)担当課長の西田満さんに聞きました。
◇
被爆樹木の保存(ほぞん)が本格化したのは、保存と継承の事業について基本的な考えを定めた1993年度からです。96年度、登録制度を始めました。
木の所有者や地域住民から歴史を聞き取ったり、航空写真や文献(ぶんけん)を調べたりして、その木が本当に被爆樹木であるかどうか調べます。最近では、2022年に中区舟入幸町のクロマツを新たに登録しました。
これまでに枯死(こし)などで28本が減り、現在は159本。木の所有者は、18本が国や県、82本が市です。民間が所有する59本はほとんどが寺や神社にあります。
市は樹木医に委託(いたく)して、1~5年おきに木の状態を調査しています。民間の所有者が土壌(どじょう)改良や消毒剤(しょうどくざい)などをまく場合、病気が進んでいるなど緊急(きんきゅう)の事情があれば、60万円まで補助金(ほじょきん)を出すことがあります。
もちろん、被爆樹木を広めることも大切です。
被爆80年の25年度から、剪定(せんてい)で出た木切れを希望する企業(きぎょう)や団体に配り、活用してもらう事業を始めます。広島市長が会長を務め、世界166カ国・地域の都市が参加する「平和首長会議」は、加盟(かめい)都市に被爆樹木の種や、種から芽を出した「2世」の苗木を配っています。
市のホームページに被爆樹木が立っている場所や、爆心地からの距離(きょり)などを載(の)せています。ぜひ若(わか)い人たちに関心を持って歩いてもらって、情報を国内外に発信してほしいです。
私たちが担当しました
高2相馬吏子、中野愛実、山口莉緒、吉田真結、高1新長志乃、山下裕子、山代夏葵、中3亀居翔成、川鍋岳、行友悠葵、中2山下綾子、中1岡本龍之介が担当しました。
(2024年12月2日朝刊掲載)
【取材を終えて】
~広島市の被爆樹木の取り組みについて~
今回の取材の中で、被爆樹木を残す上で大切なことは「見える」ことだと分かりました。声を聞く被爆証言は想像して心で感じますが、被爆樹木や被爆建物は被爆の実態を視覚で多くの人に訴えることができるものだと思いました。 「伝える証言」は言語の壁がありますが、被爆樹木のような「もの言わぬ証人」は言語の壁を超えて世界の人たちに平等に原爆の恐ろしさを伝えることが出来る点で優れていると思います。今も生き続けているという事実からも伝わるものがあると思います。被爆樹木は、命の力強さやはかなさ、戦争の恐ろしさを多くの人に姿をさらすことで伝える、貴重な証言者であると感じました。(高2中野愛実)
広島市の西田課長の「被爆樹木はもの言わぬ証人である」という言葉が強く印象に残りました。これまでは原爆ドームや平和記念資料館などの建築物という側面でしか詳しく学習してこなかったので、「被爆樹木」という植物が、原爆投下当時の状況を物語っているという新たな視点に気づくことができ、より被爆樹木の特性等を知りたいと思いました。また、被爆樹木を剪定した際に出た木切れを活用する取り組みにも大変興味を持ちました。来年広島は被爆80年を迎えるということで、3センチ以上の木切れを保管し、例えばネクタイピンなどを作って、世界中に被爆樹木の存在を周知してもらうそうです。樹木が倒木したり、病気にかかったりした場合の対応について以前から関心があったので、このように活用されるとお聞きして非常に良い取り組みだと感じました。まだまだ被爆樹木について知らないことも多々あると感じたので、広島市のホームページを確認したり、被爆樹木自体を回ってみたりして様々な視点から「もの言わぬ証人」を追求したいと思いました。(高1新長志乃)
西田課長は、「被爆建物やひばく樹木は『もの言わぬ証人』として今後さらに重要性が増す」と言っていました。私は、被爆建物にはない被爆樹木の特徴について考えました。被爆樹木は、建物とは違ってこれからも成長していきます。被爆建物に残る当時の鮮明な被害を見ることも大切ですが、被爆樹木が原爆を受けてから立ち直った姿を見ることも大切だと感じました。剪定の際に出た枝を有効活用する試みも、実際に生きている樹木だからこその強みだと思いました。ですが、樹木はいつか枯れてしまいます。枯れてしまった樹木も何本もあるそうですが、全ての樹木に樹勢回復措置やモニタリング調査などの対策をしっかり行っていることにも驚きました。被爆者の高齢化が問題になっていますが、原爆が投下された日から強く生きている被爆樹木の姿から得るものも多くあると感じました。(中3川鍋岳)
西田課長の被爆樹木に対する思いがすごく伝わりました。知識量や熱意のこもった説明から、被爆樹木を大切にしていることがひしひしと伝わりました。そして今後、平和大通りなどの道を歩くときは脇にある樹木に注目してみたいと思いました。 (中3行友悠葵)
~浄西寺の被爆イチョウについて~
「どの被爆樹木にもそれぞれの物語があるはず」という藤枝さんの言葉が印象的でした。このイチョウの木にも、前々住職から代々受け継がれた思いが込もっています。さらに、木の保存のための多くの苦労や、マルシェの開催について知ると、ぜひ私も木の保存のために協力したいと感じました。この木ついて知れば、多くの人が私と同じように何か協力したいと考え、マルシェに訪れる人もきっと増えると思います。私たちジュニアライターの発信によって、これまで受け継がれてきた思いをさらに多くの人へ伝え、少しでも木の保存のために力になれたら良いと思いました。(高2吉田真結)
今回の取材で被爆樹木を残す「意義」と「責任」を感じました。浄西寺の被爆イチョウを実際に見て、樹木に残された被爆の生々しい傷跡を肌で感じることができました。爆心地側の幹には枝葉がなく、爆風によって傾いてしまった木の様子も実物を見なければ分からなかったことだと思います。被爆してもなお生き続けている被爆樹木だから残していける原爆の爪痕に保存していく意義を感じました。被爆樹木の持つ意味の大きさに伴って、管理していく責任も大きくなっているとも感じました。長く残すためにも私たちが被爆樹木に関心を持つことが必要だと思います。(高2中野愛実)
民間での被爆樹木の管理の大変さについて深く理解することができました。イチョウは樹齢106年と私の6倍以上も長く生きており、さらに原爆を乗り越えて、生き延びたとても貴重な樹です。こういった重要な樹を未来に残していくために、より多くの人が被爆樹木について知ることが最優先だと思います。そのため、藤枝さんの活動はとても大事なことだと思います。これからも広島に住む人が一丸となり、被爆樹木を守り、育てていくことが大切です。私たちの手で次世代にこの貴重な遺産を引き継いでいきたいです。(高1山代夏葵)
私は、藤枝さんが被爆樹木を使ったキーホルダーなどを作ってマルシェを開催したり、SNSを活用して被爆樹木を発信していることが印象に残りました。これらの企画は藤枝さん自身が考案しているそうで、多くの人に被爆樹木について知ってもらうことができるいい方法だなと思いました。しかし、樹木を保存するための費用がとても高く、集めることが大変だそうです。今回私が知った被爆樹木の保存の大変さを多くの人に知ってもらうために、藤枝さんの発信を私ができる方法で広めて、貴重な被爆樹木を長く残せるよう貢献したいです。(高1山下裕子)
~グリーン・レガシー・ヒロシマ・イニシアチブ(GLH)と米サンディエゴ植物園の活動について~
被爆者樹木を世界では“Witness Tree”と言われていることを初めて知りました。被爆樹木は歴史の一部で、被爆樹木から広島の歴史などを教えてくれると言っていて、まさに証言の木だなと感じました。
被爆者クスノキやイチョウの木を送ることは地域ハブとして重要な役割で、ノービーさんが言っていたように、アメリカだけでなくカナダやメキシコ、世界に被爆樹木を送ることで、もっと多くの人に被爆樹木の存在を知ってもらうことができ、興味をもってもらえると私も思いました。このような活動があることを知ったので、もっと調べてみたいと思います。(中2山下綾子)
今回は初めてオールイングリッシュの取材でした。中1の私は英語力がなく、その場で英語が聞き取れなかったのがとても悔しかったです。臨場感がなかったので、頭の中の整理をするのも大変でした。しかしそれがいい経験になったと思います。
ノービーさんは被爆樹木を「歴史の一部」と言い、被爆樹木の種をアメリカ国内でも広く配布しているそうです。2022年に家族で広島を訪れたそうで、「広島の若者たちは素晴らしい人生を送っている」と言っていました。その言葉は、広島に住む私にとって、とても勇気や喜びを与えてくれるものでした。悔しさもあったけれど、成長できたインタビューだったと思います。今回を機に、積極的に英語の取材に参加したいです。(中1岡本龍之介)