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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 広島アジア大会30年 当時の市長平岡敬さんに聞く

「一館一国」交流 今も

 広島市を中心に1994年に開かれた「広島アジア競技大会」から今年で30年です。42の国と地域の選手たちが参加。初の地方都市、しかも被爆地での開催(かいさい)として注目されました。準備段階(じゅんびだんかい)から、市内の公民館が、参加国・地域の担当を決めて応援した「一館一国運動(いっかんいっこくうんどう)」に取り組み、多様な文化や伝統への理解を深めたそうです。過去の戦争への反省と、平和への強い思いもありました。中国新聞ジュニアライターは、今でも現地とつながり、交流を続ける市民団体を取材しました。

平和への思い伝える機会に

 96歳の平岡敬さん=広島市西区=は、広島アジア大会が開かれた当時の広島市長です。「一館一国運動」の取り組みは、「大会を、ただ応援(おうえん)するだけではなく、広島市民の平和への思いを伝える機会にしたい」と考えたからでした。

 大会には、6千人以上の選手たちが広島を訪れることが見込まれていました。中には太平洋戦争が終わるまで日本の植民地だった国や地域もあり、米軍による原爆投下によって支配から解放されたと考える人が今以上に多くいました。

 平岡さんは、大会を通じて「戦争中の加害を謝罪(しゃざい)した上で、非人道兵器である原爆を二度と使ってはいけないというメッセージを共有すること」を掲(かか)げました。一館一国運動は、アジアで日本が行った戦争と歴史を知り、互いを理解する上で大切な取り組みだったのです。

 平岡さんは大会後も続く市民の交流にも関わっています。鈴が峰公民館(西区)とカザフスタンの交流を機に発足した市民団体は、核実験の被曝者(ひばくしゃ)を支援し、留学生を受け入れています。カンボジアの首都プノンペンにある「ひろしまハウス」は、中央公民館(中区)の利用者たちが2006年に建設。貧(まず)しい子どもたちに無償(むしょう)で教育や給食を提供(ていきょう)しています。平岡さんは「息の長い交流が続いてほしい」と願います。

~平岡敬さんのお話を聞いて~

 今回の取材で一番心に残ったのは、平岡さんがアジア競技大会を「スポーツ大会」と捉えるのではなく「アジアの国々が交流し、ヒロシマの意味を伝える機会」だと考えられたことです。当時、アジアの国は、広島に原爆が投下されて日本が敗戦したことで自国が独立できたと考える人がいたそうです。平岡さんは、その印象を変えられるのは「国際理解」だとして、一館一国運動に取り組みました。

 「若者は国際理解のためにどうしていけばよいか」という質問に、平岡さんは「『違うことは違う』といえる空気を作ることが大切だ」と答えてくれました。それは外交の場だけではなく、私たちの日常生活の中でもできることだと思いました。「国際理解で平和を伝える」という考えを大切にして、これからもさまざまな国籍の人たちと関わっていきたいです。(中2西谷真衣)

 平岡さんのお話で印象に残ったのは「戦争がない=平和ではない」という言葉です。戦争が起きていなくても、環境や貧困などさまざまな問題は存在し、苦しんでいる人たちがいます。私が考える「平和」は「世界中の人たちが安心して朝を迎えられるような社会」です。今、学校やジュニアライターの活動を通じて「平和とは何か」を考えて続けていますが、さまざまな人のお話を聞いて、考えを深めていきたいです。(中2松藤凜)

 平岡さんのお話を聞いて、相手を理解することが平和につながるのだとあらためて実感しました。「一館一国運動」のように、市民がまず他国について知ることで他国との交流が始まったり、親近感が湧いたりして、それが平和につながるんだと思いました。私はあまり他国について詳しくありません。今後は他国の文化について調べたり、体験したりしたいなと思いました。(中2行友悠葵)

 平岡さんのお話で印象に残っているのは、「アジア大会をきっかけに日本とアジア各国が交流を深め、平和のために協力し合うことを目標にした」ということです。アジア大会の開催前、広島の公民館はそれぞれ担当する国や地域を決めて、事前に文化を学んだりしたそうです。大会中は選手団にエールを送り、大会が終わってからも市民団体がカンボジアに貧しい子どもたちのための施設を建設するなど交流は続いたと言います。大会の成功がすべてではなく、大会をきっかけに、さまざまな形でアジア各国とのつながりを深めたのは大切なことだと思います。また、戦争をしないことイコール平和ではなく、貧困や差別がなく、安全に快適に過ごせることも重要です。互いに相手を理解するように努めて、それが平和につながると思いました。(中2佐藤那帆)

私たちが担当しました
 高3中島優野、高1谷村咲蕾、中野愛実、中3川本芽花、中2川鍋岳、佐藤那帆、西谷真衣、松藤凜、行友悠葵、中1石井瑛美、山下綾子が担当しました。

(2024年2月26日朝刊掲載)

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