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核なき世界への鍵

[核なき世界への鍵 禁止条約に思う] 被爆者 箕牧智之さん

推進国と市民に一体感

 被爆者が生きているうちの核兵器廃絶を―。2015年、各国が核軍縮を話し合う5年に1度の核拡散防止条約(NPT)が決裂し、その実現の望みを失いかけていた。核兵器禁止条約は、まさに望みをつないでくれるものだ。

 条約への署名は初日の20日、50カ国・地域に達した。批准すれば、発効する数。署名しないよう各国に迫る核保有国の圧力が心配だっただけに、うれしい。今後、条約制定に賛成した122カ国・地域が着実に署名していけば、逆に保有国や「核の傘」の下の国に対して加盟を迫る力が増すだろう。

  ≪6月、米ニューヨーク・国連本部で条約制定交渉会議を傍聴。集会やデモで条約制定を訴えた。≫

 交渉はスムーズで、議場は推進国と市民社会の一体感があった。平和教育の推進の訴え、核兵器の近代化への懸念…。各国代表の発言に「こりゃええのう」と何度もうなずいた。北朝鮮の核開発が脅威だからこそ、使命感に一層駆られていた面もあると思う。

 ただ、メディアは日本ばかり。海外の記者の姿は目立たず、私の体験・思いを直接取材してくれた海外メディアはスウェーデンのラジオ1社だった。マンハッタンをデモ行進しても市民になかなか振り向いてもらえなかった。

 被爆75年の20年へ、国際世論をどう高めるか。おそらく禁止条約が発効した上で次のNPT再検討会議があり、平和首長会議が設定する廃絶の目標年。高齢の被爆者が廃絶を見届けるには「最後のヤマ」だろう。保有国や核の傘の国が一つ、二つでも禁止条約に入る動きを早く生み、廃絶への道筋をつけたい。

 20年と言えば、国民の関心は東京五輪。世界の注目が日本に集まる。この年を廃絶目標としてもっと浸透させ、国際世論の喚起にも生かせないか。広島を訪れる外国人にも、禁止条約への認知を広げたい。

 ≪日本政府は条約交渉に不参加。議場の空席に、折り鶴2羽を置いた。≫

 鶴は、地元の広島県北広島町の職員有志が折ってくれた。渡米費も、町内の被爆者たちがたくさんカンパしてくれた。各地の市民が廃絶を心から願っている。政府はその思いをしっかり受け止めてほしい。

 一方、広島市中心部の街頭で「ヒバクシャ国際署名」を集めると、避けて通る人も少なくない。県内の首長もまだ全員は署名していない。禁止条約に多くの国が入って効果を発揮するよう、被爆地広島が声を一つに後押しする時だ。私たち被爆者も、原爆被害とともに、禁止の必要性を地道に伝えていく。(聞き手は水川恭輔)

みまき・としゆき
 1942年、東京生まれ。45年3月の東京大空襲を機に、父の実家近くの広島県飯室村(現広島市安佐北区)に家族で疎開。原爆投下後、広島駅に勤務していた父を捜しに母に連れられて入市、被爆した。2006年から北広島町原爆被害者の会会長、14年から広島県被団協(坪井直理事長)副理事長。日本被団協代表理事を兼ねる。

(2017年9月28日朝刊掲載)

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