[核なき世界への鍵] 被爆者の声 世界が共鳴 ICAN 10日にノーベル平和賞授賞式
17年12月3日
「死を無駄にしない」 サーローさん演説へ
世界各地の市民社会と連帯し、核兵器禁止条約作りを進めた非政府組織(NGO)核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))が10日、ノーベル平和賞を受ける。ノルウェー・オスロである授賞式で、戦後の広島の平和運動に根差し、若きICANと活動を共にしてきた広島市南区出身の被爆者サーロー節子さん(85)=カナダ・トロント市=が受賞スピーチ。紡ぎ、広がった核兵器のない世界を願う声を響かせる歴史的な時になる。(金崎由美、水川恭輔)
「大切な人、学友、きょうだい、近所の人たちが一度に命をとられた。私たちはその人たちに誓った。死を無駄にしないと」。7月、条約が採択された国連の議場で各国に署名を呼び掛けたサーローさんは、感極まった表情で語った。
姉や、学校の後輩だったいとこらが被爆死。原爆詩人栗原貞子をはじめ、広島の平和活動家に触発され、被爆30年後に移住先のカナダで原爆を伝える活動を本格化させた。原爆写真展、学生の広島派遣…。地道な活動で、被爆地が目指す海外への発信を後押しした。
ICANは2007年、オーストラリアで正式に発足し、101カ国のNGO468団体が加盟する国際組織に育った。インターネットを駆使し、被爆地が伝えてきた核使用の非人道性と法的禁止の必要性を世界へ発信。サーローさんは、ICANの「顔」として国際会議で証言を重ねてきた。
そのメッセージは市民一人一人に共有され、世界的な反核キャンペーンへつながった。「廃絶へ働いた全ての人への平和賞」。死者への「誓い」を胸に、サーローさんは授賞式に臨む。
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ICANメンバーの思い
被爆者の訴えに共鳴し、核兵器禁止条約を作る運動を進めたICAN。各国に散らばるメンバーのメッセージを紹介する。(敬称略)
≪寄せられた英文のメッセージ全文を中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトに掲載しています。アドレスは https://www.hiroshimapeacemedia.jp/blog/?p=78705≫
ティルマン・ラフ ICAN創設時の代表=豪
核戦争防止国際医師会議(IPPNW)で活動するマレーシアのロン・マッコイ医師からICANの構想を提案され、組織創設に携わった。いかなる核兵器の使用も壊滅的な人道上の被害を人間と地球にもたらすことを訴え続けている。
被爆者が報復心ではなく「誰にも同じ痛みを体験させない」という思いから証言する姿に力をもらっている。禁止条約実現に被爆者がどれだけ貢献したか。誇りに思ってほしい。
禁止条約には豪日を含め全ての国が加盟できる道筋が盛り込まれた。廃絶に熱心な国は必ず条約に署名するだろう。署名しない国は結局、軍縮に本気ではないということだ。
ティム・ライト ICANアジア太平洋部長 創設メンバー=豪
核兵器の恐怖を世界に伝えてきた広島の市民に感謝したい。被爆地訪問のたび廃絶へ全力を尽くす覚悟を新たにする。ICAN創設時に世界中の団体に参加を呼び掛け、志を同じくする政府関係者との関係を築いた。実現した条約を、核抑止の論理に挑むことに生かそう。日本の若者が街頭に出て政府に条約参加を要求し、教育者は行動する大切さを説くことを期待する。
レイ・アチェソン リーチング・クリティカル・ウィル担当ディレクター=米
禁止条約を求める運動の戦略立案に深く関わってきた。運動家仲間と協力し、各国の政府関係者と密に連携した。諦めず、共に努力すれば多くのことを達成できると、仲間や外交官から学んだ。軍事、経済面で最も強力な国々に阻まれながらも前進し、権力構造を動揺させるのは可能だ。時間の経過とともに、核兵器に汚名を負わせる条約の効果はさらに強くなるだろう。
スージー・スナイダー PAX軍縮プログラムマネジャー=オランダ
オランダ政府に条約交渉会議への出席を迫った。世論を喚起し、政治的な圧力をかけ、(条約に反対する国では唯一となる)交渉参加を実現させた。条約に前向きになるよう求める運動を続ける。生物兵器や化学兵器の保有を誇る国がないのは、禁止条約により汚名を負う兵器になったから。核兵器も、保有を恥ずべき兵器と定義された。核兵器廃絶に向けた意義は大きい。
レベッカ・ジョンソン アクロニム研究所所長=英
従来通りの訴えでは保有国に妨害されるだけだと認識し、国連総会を舞台に非保有国との連携を重視した。どの国も同じ1票を持ち、多数決が原則。大国の拒否権もない。それが転機となった。被爆者はICANの支え。今回サーロー節子さんが代表してノーベル平和賞を受けるのは喜ばしい。自国の政府に条約加盟を迫るよう、日英両国の市民への呼び掛けも強めよう。
シャロン・ドレブ イスラエル軍縮運動創設者=イスラエル
イスラエルでは自国の核計画についての議論が全くないのが現状だ。私たちは今年、国内の核施設の監督を巡り最高裁に訴えたり、中東に非大量破壊兵器地帯を設置するための条約案を作成したりした。重視しているのが教育活動。ピースボートに乗る被爆者をこれまで3回招き、証言を聞いた。心から感謝している。核の恐怖の終わりを、彼らが生きて見届けることを願う。
ジョン・ロレッツ 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)プログラムディレクター=米
核兵器がもし再び使われれば、限定核戦争であっても数十億人を危機にさらす「核の飢(き)饉(きん)」が起こることなどを科学的に立証し、IPPNWは核兵器禁止条約の実現プロセスに貢献してきた。核兵器がもたらす結末が広く理解されれば、核保有の継続や核抑止力への依存を正当化するすべはなくなる。各国に条約の署名を求める中で、このことを引き続き強調していく。
マリア・エウヘニア・ビアレアル ラテンアメリカ人間の安全保障ネットワーク中米代表=メキシコ
クリスチアン・ウィットマン 同ブラジル代表=ブラジル
ウルグアイやジャマイカで地域会合を開いたり、外交官との円卓会議を毎年持ったりしながら、地域における条約支持の世論を形成した。できた条約をどう普遍化させるかが重要だ。国際団体、各国政府、広島と長崎の被爆者や核実験被害者など、各分野の人たちの力を結集するとともに、市民や為政者に核被害者の証言を共有してもらうのが必要だ。
エリザベス・マイナー アーティクル36アドバイザー=英
クラスター弾などの兵器に加え、人工知能(AI)を持つ殺人ロボット兵器の導入も警戒しながら、特定兵器による非人道的被害の問題に取り組んでいる。政治戦略の立案、実行であり、まさに核兵器禁止条約についても同様の活動だ。条約交渉会議では、核被害者の権利や環境被害を条文に盛り込むよう求めた。核兵器をなくすため、被爆地と世界の市民の力がさらに必要だ。
カリーナ・レスター 豪先住民活動家
英国による核実験でオーストラリアの先住民アボリジニが受けた被害について、ICANの力添えにより条約交渉会議などの場で訴えている。2年前、市民団体が主催する「世界核被害者フォーラム」に出席するため広島を訪れ、体験共有を巡る被爆地の強い意志を感じた。私は、被爆者から力をもらっている。あなたたちと、核兵器なき世界に向けた旅を共にしている。
ヨセフィン・リンド スウェーデン反核医師の会事務局長=スウェーデン
「核兵器禁止」という発想を広めるのに長年努力している。市民の支持を広げ、国会や行政を説得。ソーシャルメディアも駆使する。禁止条約が成立した今、国内の関心をどう維持するかが焦点だ。核兵器保有は時代遅れであり、国際社会の大多数が核兵器を拒否している。条約を生かしてその現実を訴え、核兵器を「持ちたくなる兵器」でないものにするのが重要だ。
川崎哲(あきら) ピースボート共同代表=日本
被爆者の証言の航海を通じて各国で核兵器の非人道性を伝え、条約の土台部分をつくった自負がある。行く先々でICANのメンバーが証言の場だけでなく、外交官と話す機会も設けてくれ、感謝している。世界へ発信するというのは、伝え方や相手のことも学ばないといけないが、広島から外へ飛び出す人が増えれば、ICANの国際運動も日本の運動も豊かになる。
核兵器廃絶を目指すサーローさんと広島の主な歩み
1945年8月 米国が広島、長崎に原爆投下。広島女学院高女2年で、学徒動員先だった爆心地の北東約1.8㌔の第二総軍司令部で被爆。同1年のいとこ難波時子さんら近親者8人を原爆で亡くす
54年3月 米国のビキニ環礁での核実験で第五福竜丸が被曝(ひばく)。原水爆禁止署名運動が全国に広がる
8月 留学先の米国で新聞取材を受けて核実験を批判。記事が載ると「真珠湾を忘れるな」などと脅迫の手紙が届く。翌55年1月13日付の中国新聞朝刊が「中村さん(旧姓)から便り」の見出しで経緯を報道
55年8月 広島市で初の原水禁世界大会
56年5月 広島県被団協結成。8月に日本被団協発足
63年10月 部分的核実験禁止条約(PTBT)発効
70年3月 核拡散防止条約(NPT)発効
74年8月 移住したカナダから広島の原水禁世界大会に参加。県被団協の森滝市郎理事長、原爆詩人栗原貞子らの反核平和活動に触発される
75年10月 カナダ・トロント市庁舎で原爆写真展を開催。資料は広島市が提供。この年に「広島・長崎から学ぶ会」を結成。原爆犠牲者を追悼する平和集会「ヒロシマ・ナガサキデー」を始め、毎年続ける
84年9月 トロント市の平和の庭に「平和の灯」点火。地元神父と広島市を訪れ、平和記念公園の灯から採火した
85年8月 世界平和連帯都市市長会議(現平和首長会議)の第1回総会を広島、長崎両市で開催。82年に広島市の荒木武市長が国連で提唱し、トロント市は翌83年に加盟
86年8月 「学ぶ会」で、トロント市の高校生2人を「平和大使」として広島に派遣し、引率。平和集会などに参加。高校生は帰国後にカナダの首相に招かれ、廃絶を願う折り鶴を渡す
95年11月 広島市の平岡敬市長が、国際司法裁判所(ICJ)で、核兵器の使用・威嚇は国際法違反と陳述。翌年、ICJは「一般的に国際法違反」との勧告的意見
2003年11月 平和市長会議(現平和首長会議)が核兵器禁止条約の締結を経て廃絶を目指す「2020ビジョン」を発表
06年11月 反核医師らがオーストラリアでICANをつくる。翌年に正式発足
07年3月 平和市長会議がICANの国際パートナーに加わる
08年9月 現在ICANに加わるNGOピースボートの船旅に参加。被爆者103人で20カ国を巡り、被爆体験から廃絶を訴え
10年5月 NPT再検討会議の最終文書が核兵器の非人道性や核兵器禁止条約に言及
12年8月 ICANが広島市で国際会議
14年2月 ICANが後押ししたメキシコでの第2回「核兵器の非人道性に関する国際会議」で証言し、核兵器の法的禁止を要請
12月 オーストリアでの第3回会議。ICANの集会で女学院の犠牲者の名前を記した横断幕を掲げる
16年4月 核兵器を禁止し廃絶する条約締結を全ての国に迫る日本被団協提唱の「ヒバクシャ国際署名」の呼び掛け人に、県被団協の坪井直理事長らと名を連ねる
5月 オバマ米大統領が広島を訪問。坪井理事長が言葉を交わす
17年3月 国連の会議で禁止条約の交渉開始。核保有国や日本は不参加。NGO発言枠でICANを代表して被爆の惨状を証言し、条約制定を求める
7月 122カ国の賛同で条約採択。NGO枠で発言後、ICANのフィン事務局長らと記者会見し「亡くなった人たちに、ここまでこぎつけたと伝えたい」
(2017年12月3日朝刊掲載)