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朝刊1面 1930年~

1892年に「日刊中国」として創刊した中国新聞は、2024年7月1日現在で紙齢4万6692号を数えます。中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターは2021年、連合国軍総司令部(GHQ)が報道統制を敷いていた被爆翌年の1946年から現在まで毎年8月6、7日両日の朝刊1面をウェブサイト上で公開しました。
 今回、さらに1930年から1944年までの8月6、7両日と、1945年8月6日の朝刊1面も加えました。1945年8月7日の紙面はありません。その前日、中国新聞社は原爆により本社が被災したのです。従業員の約3分の1に当たる114人を原爆で失いました(後障害を含む)。
 満州事変の前年だった1930年の紙面は、昭和恐慌の影が色濃く感じられます。日中戦争が始まった翌年の1938年は、戦時動員が強まり「統制諸法令違反は反国家的行為」などと断じています。特に1941年以降、太平洋戦争下の1面トップはしばしば「大本営発表」のプロパガンダ記事。たった一発の原爆により広島が壊滅した1945年の「あの日」の朝刊は、既に敗戦間際だったにもかかわらず「この非常の事態を克服することこそ戦勝への唯一つの途」と社説で説いています。
 印刷は一部不鮮明ではありますが、判読可能な記事や見出しに目を凝らせば、約15年間にわたり日本が一貫して対外戦争にまい進していたことがよく分かります。そして、報道機関の戦争協力も。さかのぼれば1894年の日清戦争から1945年の敗戦に至るまで、軍国主義を支え続けた一大拠点が「軍都広島」でした。米軍による広島と長崎への原爆投下について考える時、1941年12月の太平洋戦争開戦を全ての起点と見なすことなく、より広い視野から戦争と向き合うべきでしょう。

※記事中には今では使われていない表現が含まれている場合がありますが、紙面の一次資料としての側面を踏まえ、発行時のまま公開しています。

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