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松井市長 理念重視貫く 10回目平和宣言 世界を動かす政策

 広島市の松井一実市長の10回目の平和宣言は、核兵器廃絶と平和の実現のため市民社会の「連帯」の重要性を説いた。「ごく普通の人の行動理念を示したい」と、具体的な政策よりも普遍的な理念を前面に押し出すスタイルを貫いた。

 今年の宣言には「連帯」の言葉を6回使用。「あくまで心の問題に着目し、市民社会に共通の価値観を醸成する狙いで宣言をつくってきた」という自負のもと、廃絶への訴えをその一語に込めた。

 過去の宣言でも市民に行動を促す理念を強調してきた。昨年までと異なったのが、核兵器禁止条約の署名・批准を政府に直接求めたくだりだ。

 2017年に国連で採択されて以来、被爆地の市長として、「被爆国」の政府に対し、正面から署名・批准を求めるかどうかが問われた。17、18年の宣言では直接求める文言はなく、19年は「被爆者の思い」としての要求にとどまった。

 松井市長はいずれも「求めている」とのスタンスだったが、被爆者団体などから「市長自らの言葉で」との意見が寄せられていた。

 ただ、松井市長はこうした論争へのいらだちを隠さない。宣言骨子を発表した7月末の記者会見で、具体的な政策を論じた過去の宣言が「政争の具」となり、平和を巡る市民の日常の語り合いをむしろ遠ざけたと指摘。「宣言で言えば、短期に問題が解決するのか」との発言も飛び出した。

 政府への働き掛けなど具体の取り組みは、自ら会長を務め、核兵器保有国の都市も加わる平和首長会議で着実に進めているとも言う。

 しかし、核兵器廃絶の道のりは、いや応なく国内外の為政者との政治的な「争い」でもある。被爆者はその重荷を負わされてきたのだ。あの日から75年。平均年齢83・31歳となったその身に。国内外の注目が集まる広島市長の宣言だからこそ、重荷を被爆者と分かち合い、世界を動かす真っすぐなメッセージが期待されている。(明知隼二)

<これまでの松井市長による平和宣言のポイント>

1期目 2011年  平和宣言に盛り込むため被爆者の体験談を初めて公募。「宣言で被爆者の体験や平和への思            いを、世界の一人一人に伝えたい」とした
      12年  日本政府に「唯一の被爆国」として核兵器廃絶へのリーダーシップを期待
      13年  広島を「憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地」、核兵器を「絶対悪」と強調
      14年  「人類の未来を決めるのは皆さん一人一人」「もしも自分や家族の身に起きたら」と
           呼び掛け
2期目   15年  「広島をまどうてくれ」との被爆者の訴えを盛り込む
      16年  オバマ米大統領の広島訪問について「絶対悪を許さないヒロシマの思いが届いた」と意義を            強調
      17年  「きのこ雲の下で何が起こったのかを知り、世界に共感の輪を広げてほしい」と訴え
      18年  「ヒロシマを継続して語り伝えなければならない」と継承の重要性を指摘
3期目   19年  「被爆者の思い」として日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める
      20年  核兵器廃絶や平和の実現へ、市民社会の「連帯」の重要性を強調

(2020年8月7日朝刊掲載)

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