×

社説・コラム

社説 平和記念式典 核廃絶 発信もっと強く

 被爆75年の夏、広島市の平和記念式典は例年と大きく異なる形で開かれた。参列者数を制限するなど、新型コロナウイルス対策を取らざるを得なかったためである。

 被爆者が減り、記憶継承に危機感が募る中で迎えた節目の年である。核軍縮が難航し、拡散も懸念される。世界に向けて核廃絶を声高に発すべき日なのに制約を受けたのは残念だ。

 平和記念公園や周辺に訪れた人も例年よりもずっと少なかった。市内各地で営まれてきた慰霊祭などにも中止になったものが多い。子どもや外国人の姿もまばらで、被爆者が語る惨状や思いに触れて学んでもらうことも、かなわなかったようだ。

 被爆地の発信が来年以降、トーンダウンしてしまわないか。そんな懸念が湧いてきた。

 式典での発信にも疑問が残った。松井一実市長は「連帯」をキーワードにした平和宣言を読み上げている。

 惨状を語る被爆者の証言や、昨年広島を訪れたローマ教皇フランシスコのメッセージ、国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんの言葉を紹介。核兵器とコロナを人類の脅威として並べ、立ち向かうには「連帯」が重要だと訴えた。

 核兵器禁止条約については、日本も締約国になるよう、市長自らの言葉で初めて求めた。

 昨年まで「被爆者の思い」に仮託した表現にするなど明確に求めなかった。被爆地として当然のことなのに、要請するのに条約の採択から3年かかった。遅きに失した感が拭えない。世界はどう受け取っただろうか。

 平和宣言に比べ、湯崎英彦広島県知事のメッセージは明確で訴求力を帯びていた。

 「なぜ広島、長崎の核兵器廃絶に対する思いはこうも長い間裏切られ続けるのか」と問い、核抑止論を「虚構」と断じた。被爆者が存命の間に核廃絶を実現するよう、各国に呼び掛けていた。

 こども代表は「平和への誓い」でコロナの脅威に触れつつ、核の脅威の方は人間の手で作られたと言う。その上で「核兵器をなくすのに必要なのは私たち人間の意思です」と力強い。

 これらの訴えは、「核の傘」を信奉する日本政府に対しても向けられているはずだ。

 にもかかわらず、安倍晋三首相の言葉は型通りで代わり映えがしなかった。「立場の異なる国々の橋渡しに努め」「核のない世界の実現へ国際社会の取り組みをリードする」と。

 しかし現実は、米国をはじめ保有国が核の近代化や小型核の実戦配備を進める。何をどう橋渡ししてきたと言うのか。

 被爆者援護についても、踏み込むことはなかった。被爆者代表から要望を聞く会で、被爆者健康手帳の交付を命じる判決が出た「黒い雨」訴訟について、控訴断念を求められたものの、明言を避けた。

 援護拡充を求める被爆者の訴えや、禁止条約の批准を訴える被爆地の声がある。75年がたち、残された時間の少ない被爆者には、特に切実な願いだ。にもかかわらず日本の政府にさえ受け流されるのか。首相らには重みを持って響かないのか。

 コロナ禍に負けてはいられない。人類の未来のためにも国の内外へ向けて、被爆地の訴えや発信を一層強めていく時だ。

(2020年8月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ