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山陰でも平和の誓い 慰霊の集いや街頭活動 松江

 米国による広島市への原爆投下から75年を迎えた6日、県内でも慰霊の集いや核廃絶を願う街頭行動があった。新型コロナウイルスの影響で記憶の継承に向けた活動が制限される中、被爆者や地元住民たちは平和を祈る思いを強くした。(三宅瞳、高橋良輔)

 松江市学園南の北公園にある原爆慰霊碑前であった慰霊の集いには、被爆者や2世たち15人が参列。早朝から周辺を清掃した後、広島市の平和記念式典の様子をラジオで聞きながら、原爆が投下された午前8時15分に黙とうをささげた。

 献花後、慰霊碑に静かに手を合わせた寺島智恵子さん(78)=松江市淞北台=は3歳の時、母と妹と共に、爆心地から約800メートルの広島市小網町(現中区)で被爆。爆風は「超特急で過ぎ去る黒い列車のよう」に感じ、道路端では水を求める女学生が横たわっていたという。4、5年前から証言活動に励むが、今年は新型コロナの影響でゼロ。「幼いながら悲惨だった光景を覚えている。1人でも多くの人に伝えたい」と話す。

 県原爆被爆者協議会は、後世に記憶を残そうと節目を機に予定していた、被爆者の体験や平和へのメッセージを募る事業を来春に延期。毎年夏に開くパネル展も見合わせた。集いに参列した山根義一副会長(91)は「核廃絶への思いは変わらない」と力を込める。

 松江市殿町の県庁前では、原水爆禁止県協議会(県原水協)などのメンバーたち42人が街頭活動。午前8時から約30分、「核兵器をなくそう!」などと書かれた横断幕を掲げ、通勤者たちに平和を訴えた。

 県原水協として平和記念式典への参加がかなわず、初めて企画した。西尾幸子代表理事(88)は「節目の年に広島に行けなくて悔しい。戦争は繰り返してはいけないと、体が動き続ける限り伝えたい」と語った。

 今年3月末の県内の被爆者は、前年同期より86人少ない746人。平均年齢は全国で最も高い88・75歳となった。

被爆者療養の地 追悼 有福温泉

 被爆者が温泉療養に通った江津市有福温泉町の有福温泉でも6日、原爆死没者を追悼する式典があった。

 地元住民たち約30人が集会所に集まり、午前8時15分に黙とうし、祭壇に折り鶴や花を供えた。会場では6月下旬から住民たちが制作した黄と青の折り鶴約1400羽を天井からつるした。戦争のない明るい未来への期待と、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、医療、介護関係者への感謝を表現したという。

 2013年末で閉鎖した原爆被爆者有福温泉療養研究所「有福温泉荘」で開かれていた式を、地元の湯町自治会が引き継いでいる。盆子原温会長(70)は「住民も被爆者も高齢化が進む中、これからも継承に力を入れたい」と話していた。

 集会所では15日まで、有福温泉荘を訪れた被爆者が感想などをつづったノートや、被爆者の証言を基に原爆投下直後の広島の街の様子などを基町高(広島市中区)の生徒が描いた絵画40点を展示している。絵画は原爆資料館(同)から自治会が借りた。午前9時~午後5時。(下高充生)

(2020年8月7日朝刊掲載)

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