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広がる思い 「戦後復興を遂げた広島の街並み 私たちが守っていく」 8・6ドキュメント

「平和の歌」高校生が合唱/ドームの景色SNSに

 0・00 「生きて行く 草木も生えぬヒロシマに カンナが咲いた 私は生きる」。原爆ドーム(中区)そばで中区の派遣社員中岡忠司さん(42)が短歌を詠んだ。被爆者だった祖母を2013年に亡くしてから毎年ここで句を詠み、市の平和記念式典に出席してきた。今年は新型コロナの影響で参列できなかった。「コロナのせいで記憶の風化が加速するのではないか」

 1・00 呉市の今村隆由さん(76)がベンチに座って原爆ドームを見つめていた。1歳の時、警察官だった父英幸さん(当時33歳)を原爆で亡くした。「戦争は弱者ほど苦しめる。戦争は絶対やってはいけない」と力を込めた。

 2・05 「今日という日は忘れちゃいけんのよ」。平和記念公園(中区)を訪れた中区の会社員佐々木寿さん(36)は国泰寺中(同)1年の次男来輝(らいき)さん(12)に語り掛けた。20歳で被爆した祖母の顔のやけどの跡が記憶から離れない。「20歳の女性が顔にやけどを負い、どんなにつらかったか。自分に子どもができて、あらためて実感した」

 5・15 新型コロナ対策である平和記念式典会場周辺の入場規制が開始。原爆慰霊碑前を通る一方通行の慰霊のルートが設けられ、入り口に看板が立てられた。

 7・00 原爆慰霊碑前を通る慰霊のルートが通行止めに。封鎖が解除される午前9時以降に再び訪れるよう市職員に求められ、引き返す人も。

 8・00 平和記念式典開始。

 8・15 75年前に原爆が投下された時刻、爆心地の中区の島内科医院前で10人ほどが手を合わせていた。4月に埼玉県から進学した広島市立大1年新井夏子さん(18)は涙を流しながら黙とう。「日本は核兵器禁止条約に批准していない。大人たちは若い世代にツケを回さないで」と訴えた。

 8・50 平和記念式典終了。終了直前に流れた「ひろしま平和の歌」は舟入高(中区)の生徒3人が合唱。基町高(同)の生徒が被爆ピアノを響かせた。

 9・45 中区のカフェで被爆者の堀江壮さん(79)=佐伯区=が体験を語った。参加した若者は静かに聞き入り、「あの日」に思いをはせた。

 10・23 安倍晋三首相が中区で記者会見。県内の84人への被爆者健康手帳の交付を命じた「黒い雨」訴訟の広島地裁判決への対応について「関係省庁、県、市が協議している。これを踏まえて対応を検討していく」。

 10・30 例年、平和記念式典後に多くの人が訪れる原爆資料館(中区)。新型コロナ感染防止策として入場制限しているため来館者はまばらだった。

 12・50 解体か保存か―。広島市内に残る最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠(ししょう)」(南区)の保存の是非について、崇徳高新聞部の生徒が平和記念公園で市民にアンケートしていた。部長の2年川上真生さん(16)は「物言わぬ被爆の証人。同世代の関心を高めたい」。

 14・00 原爆資料館近くに全国の子どもたちから寄せられた平和へのメッセージが並んでいた。来場者がハト形のカードに思いをしたためるコーナーも。基町高1年笹尾文愛(ふみえ)さん(15)は、戦後復興を遂げた広島の街並みを「私たちが守っていきます」と記した。

 14・10 市こども図書館で、原爆や戦争の悲惨さを伝える絵本3冊の読み聞かせ会が始まった。担当した福増倫子主事は「子どもの心に響いてくれたようだった」と話した。

 16・00 「今日は平和を感じ、祈る日」。観音寺(東広島市)の住職横山宗賢さん(51)が、元安橋の上から西日が差す原爆ドームにシャッターを切った。祖父母と母が爆心地から1・5キロで被爆。「この景色を会員制交流サイト(SNS)で発信したい」

 18・10 新型コロナ感染防止のため中止された元安川での「とうろう流し」の一般参加。その代わりに行われた「オンラインとうろう流し」の様子が中区の旧市民球場跡地に設けられたスクリーンに映し出された。

 19・00 中区小町の平和大通り沿道に立つ市医師会原爆殉職碑前で追悼式が営まれた。佐々木博会長が「自身も被爆しながら治療に当たった医療従事者たちの尊い行動を胸に刻みたい」と悼んだ。

(2020年8月7日朝刊掲載)

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