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[コロナ禍の8・6] 祈り続ける 心の中で 慰霊祭 中止・縮小相次ぐ

「最後の出席」断念も

 新型コロナウイルスの脅威が世界を覆う中、広島は被爆75年の節目となった。感染拡大防止のため、多くの慰霊祭が中止や規模縮小を余儀なくされ、広島市も平和記念式典の会場一帯での規制を強化。被爆者や、会場を訪れた人たちは異例の制約を受けながらも、それぞれにあの日を思い、犠牲者を悼んだ。

 原爆の犠牲となった子どもの学校の同窓会などが開いてきた慰霊祭などの追悼行事は、新型コロナの影響で中止や縮小が相次いだ。

 市立第一高等女学校(市女、現舟入高)の慰霊式は例年開いてきた式典行事の開催を見送り、平和記念公園南側の市女慰霊碑前に献花台を置く形に縮小した。

 「来年は行けるかどうか。心残りです」。毎年出席してきた被爆者の矢野美耶古さん(89)=西区=は、節目の75年が最後の出席になるかもしれないと考えていたが、式典行事がないこともあって取りやめた。

 あの日。碑のある一帯に建物疎開作業に出ていた同じ市女2年生と1年生たち541人は、誰も助からなかった。腹痛で自宅にいて助かった矢野さんは核兵器廃絶を願い、長年体験を語ってきた。この夏も海外メディアの依頼に応え、証言した。「慰霊式に出られなくても、同級生たちに立てた平和の誓いは守りたい」

 県立広島第一高等女学校(県女、現皆実高)の追悼式は中止となった。「亡くなったみんなの名前を呼んで思いをはせることぐらいしかできない」。県女1年で被爆した梶山雅子さん(87)=安芸区=は、入居している有料老人ホームで歯がゆさを募らせた。

 被爆当日は金屋町(現南区)の自宅で虫垂炎手術後の療養をしていた梶山さん。建物疎開に動員されていた同級生を多く失った。負い目を感じながら追悼式への参列を続けてきた。一昨年に施設へ入居してからも付添人を依頼して出掛けた。

 中止を残念がり、来年の出席を願うとともに「原爆は必ずなくさなくてはならない」。そうかみしめた。

 広島二中(現観音高)の慰霊祭は、参列者を減らして営まれた。同公園西側を流れる本川の左岸にある慰霊碑前に集まったのは、約50人。昨年は約200人が出席したが、在校生の参加を中止した。

 建物疎開のため、現在の慰霊碑一帯にいた1年生は全員亡くなった。碑は生徒346人の名前を刻む。当時1年で、列車が遅れて現場に向かう途中の広島駅(現南区)前で被爆した中野英治さん(87)は、自宅のある東広島市からマスク姿で駆け付けた。「同級生の命をもらったと思って生きてきた。碑に手を合わさんと、自分の気持ちが収まらん」

 中野さんは「コロナの影響がなくても、参列する同級生は体調を崩すなどして年々減っている」と記憶の継承を気に掛ける。それだけに、学校関係者から、参列できない在校生が前日の5日に碑を清掃したと聞き、ほおを緩めた。「大変な状況の中でも、若い人たちに慰霊の心を大事にしてほしい」(寺本菜摘、佐伯春花、水川恭輔)

(2020年8月7日朝刊掲載)

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