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伝え続ける 私の街で 遺族代表 決意新た

 あの日の家族の体験を、自らの記憶を、次代につないでいく―。被爆75年となった6日、広島市を訪れた都道府県遺族代表はそれぞれ、決意を胸に刻んだ。新型コロナウイルス感染の再拡大が懸念される中、中区であった平和記念式典に参列した遺族代表は過去最少の23人。無念の思いで参列を見送った人も地元で祈りをささげた。

石川の角田さん 子どもに人形語り

静岡の大和さん 自身体験で紙芝居

 手提げかばんには原爆の体験を伝えるためのフェルト人形を入れてきた。石川県遺族代表の角田主枝(きみえ)さん(51)=金沢市。平和記念式典に参列し「被爆した家族、原爆で犠牲になった多くの人からあなたのできることをしてねと、励まされた気がします」。人形語りの活動で、次世代に記憶を継承する決意を新たにした。

 結婚を機に広島市佐伯区から金沢市に移り住んだ角田さんは、石川県原爆被災者友の会の「二世部会」で陣内智子さん(54)と出会った。人形のモデルは、吉島本町(現広島市中区)の自宅近くで被爆した角田さんの父小林舜治さん(80)=廿日市市=と、白島九軒町(現広島市中区)で被爆した陣内さんの母北野信子さん(79)=金沢市=だ。

 「シュン君」「ノンちゃん」と名付けた人形の掛け合いで、75年前のあの日を子どもたちに語り継ぐ。「突然ピカッと光ったんじゃ」「お母さんとお姉ちゃんとは二度と会えなかったんよ」…。舜治さんたちに聞いた話を基に柔らかい口調で語り掛け、命の大切さを訴える。

 角田さんは原爆慰霊碑に献花し、「命の尊さや平和を願う種を芽吹かせたい。広島でその思いを強くしました」とかみしめるように語った。

 静岡県遺族代表の大和忠雄さん(80)=浜松市=も、あの日の自身の記憶を紙芝居にまとめて披露するなど、次代につなぐ活動に奔走する1人だ。

 式典後は、亡き母や自身が被爆した自宅近くの庚午第一公園(広島市西区)にある慰霊碑を訪ねて手を合わせた。「ここに遺体がいっぱい並び、物のように焼かれました。やけどを負った人も逃げてきた」と当時を振り返り、「これまでに亡くなった人に核兵器を廃絶するための活動を続けていくと決意を伝えました」と話した。

 愛知県遺族代表の水野秋恵(ときえ)さん(79)=春日井市=は「核兵器がなくならないまま、被爆75年が巡り来てしまった」と、式典に参列し唇をかんだ。「これからは若い人たちをもっと巻き込んで訴えていかなければいけない」

 力を注ぐのは、老いゆく被爆者から体験を聞いて、継承を担う若い世代の育成。昨年秋にデビューした1人は核兵器の世界情勢も交えて証言役を務めてくれた。「力強いメッセージを広く届けたい」。その思いを被爆地広島でいっそう強くした。(藤田龍治、宮野史康)

TV越し 母に報告 青森の藤田さん 参列見送り

 「平和記念式典のテレビ中継を見ながら、仏壇のおふくろに報告しました。『子も孫も、みんな元気だよ』って」。青森県遺族代表の藤田和矩(かずのり)さん(74)=八戸市=は、新型コロナの感染を孫に心配され、式典への参列を断念。自宅で静かに亡き母をしのんだ。

 妊娠中に白島九軒町(現中区)で被爆した母は、1946年9月に21歳の若さで他界。藤田さんを出産して半年後だった。被爆75年のことし、中区の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を訪ね、昨年秋に登録した母の遺影と「再会」するのを心待ちにしていた。「私と母は半年間だけど、ともに過ごした。新型コロナが落ち着いたら会いに行きたい」と語った。

 香川県遺族代表の小比賀順子さん(60)=高松市=も直前に出席を諦め、自宅で姉(67)と午前8時15分に黙とうした。

 母は、叔父に会いに山口県へ行った帰りに被爆した。今年3月に88歳で母が亡くなるまで、小比賀さんは当時のことを詳しく聞けなかった。「私も被爆2世としての責任を果たしたい」。感染拡大が収まったら被爆体験証言を受け継ぐ広島市の「伝承者」の研修に参加するつもりでいる。(加納亜弥)

(2020年8月7日朝刊掲載)

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