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社説・コラム

社説 長崎原爆の日 「当事者」の自覚持とう

 核兵器を巡る現状への危機感を例年以上に強くにじませたのではないか。きのう長崎市で営まれた平和祈念式典で、田上富久市長が読み上げた平和宣言である。

 式典は新型コロナウイルスの影響で様変わりした。広島同様に、参列者を大幅に減らすなど縮小を強いられた中、田上市長は重い問いを投げ掛けた。「75年たった今も私たちは『核兵器のある世界』に暮らしている。どうして人間は、なくすことができないでいるのか」

 被爆者は今まで、原爆がもたらした地獄のような惨状を懸命に伝えてきた。それでも、恐ろしさはまだ十分には世界に伝わってはいない、というのだ。

 核兵器が再び使われるまで人類がその脅威に気づかなかったら、取り返しのつかないことになってしまう。そう強調した。

 誇張とは思えぬ現実がある。特に近年の核兵器保有国の振る舞いは目に余る。核の恐ろしさを過小評価しているのか。

 米国やロシアは、中距離核戦力(INF)廃棄条約など核軍縮の約束をほごにしてきた。一方で新しい高性能の核兵器や、「使いやすい」小型核兵器の開発・配備を進めている。東アジアでは、中国や北朝鮮の軍事的挑発も続く。核兵器が使われる脅威は現実のものになりつつある、と言わざるを得ない。

 こうした保有国の姿勢に、しびれをきらした非保有国や市民団体などが推し進めたのが、核兵器禁止条約だった。国連加盟国の3分の2の賛成を得て採択されて3年。発効までカウントダウンの段階に達しつつある。きのう1カ国が批准し、残り6カ国・地域の批准を待つだけになった。核兵器が法的に禁止される日が近づいている。保有国はいつまでも背を向けるわけにはいくまい。「核の傘」に依存する日本なども同じである。

 ところが、安倍晋三首相はきのうの式典あいさつで広島同様に禁止条約には触れなかった。身勝手な保有国の言動も、禁止条約の着実な前進も把握できていないのか。立場の異なる国の橋渡しに努めると今回も述べたが、行動は伴っていない。これでは「核なき世界に向け国際社会の取り組みをリードする」と力を込めてもうつろに響くばかりだ。橋渡し役を名乗るなら、すぐ禁止条約に賛同し、保有国の説得に当たるべきである。

 諦めずに行動するためのヒントが宣言に示されていた。昨年秋、二つの被爆地を訪れたローマ教皇フランシスコの言葉である。「核兵器から解放された平和な世界を実現するには、全ての人の参加が必要です」

 被爆者代表として式典で「平和への誓い」を述べた深堀繁美さんも同じ言葉を引用し、訴えた。教皇の呼び掛けに応え、1人でも多くの人がつながってくれるよう願ってやまない、と。

 平和のため私たちができることはある。例えばコロナ禍で医療関係者に拍手を送ったように警告を世界に発してきた被爆者に敬意と感謝の拍手を送る。折り鶴を折って平和への思いを伝えることもできるという。

 核兵器に限った話ではない。コロナをはじめ感染症や気候変動も、地球に住む私たちはみんな「当事者」だ。そんな自覚を持って、核なき世界への道を切り開くため行動を起こしたい。共に歩む人は世界中にいる。

(2020年8月10日朝刊掲載)

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