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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 森田裕美 西村京太郎さんの試み

戦争の記憶をつなぐために

 最初の殺人事件は呉で起きた。続いて広島でも…。コロナ禍の下、刊行された西村京太郎さん(89)の「十津川警部 呉・広島ダブル殺人事件」(双葉社)は、祖父の頼みで呉と広島へ写真を撮りに出掛けた警視庁捜査1課の若き刑事・市橋が主人公。祖父の戦中戦後の秘密に、おなじみ十津川警部と共に迫る。

 自らを「死にぞこない」と言い、多くを語らなかった祖父は元海軍予科練生。被爆前日に友人と広島入りするも紙一重で難を免れ、特攻出撃前に呉で終戦を迎えた設定である。

 トラベルミステリーの第一人者である西村さんは90歳を目前にした今も、月1冊のペースで新刊を出す多作でも知られる。鉄道トリックで私たちファンを湧かせてきたが、近年の作品はどうも趣が異なる。トリックはすっかり影を潜め、別の要素が優先される。

 それは「戦争」である。殺人の動機や背景に、しばしば顔を出す。十津川警部たち若い世代は捜査を進めながら、今なお人々の心に影を落とす戦争の不条理に触れていく。

 どんな思いで筆を執っているのか。同作の刊行を機に、西村さんに書面でインタビューした。

 西村さんは1945年4月、東京陸軍幼年学校に入り、敗戦までを過ごした。広島への原爆投下もそこで知らされたという。〈敵は新型爆弾を使用した模様(もよう)だが、被害は軽微〉とだけ。長崎のときも同じだった。その後3発目が東京に落とされるとし、注視せよとの命令が下る。「近くの城山で毛布をかぶり、一日中、空を睨(にら)んでいた」と振り返る。

 最近まで戦争を正面から作品に取り上げなかったのには訳がある。上の世代と違い、戦闘の経験がないことに気が引けていたという。戦闘を直接体験した人たちが戦争を書くべきだと思っていた。だがそうした世代は世を去り、記憶は失われていく。西村さん世代が戦争を知る年長者となり、「私たちが戦争を書いていかなければならないと覚悟を決めるようになりました」。

 戦闘は分からなくても、銃後は分かる。戦地に赴いた人と過ごした経験があり、闇市や進駐軍といった戦後を知っている。そんな視点からなら自分にも書けると思ったという。

 今回の舞台は出版社からの提案。ところが西村さんは広島の原爆について知識はあっても、直接は知らない。当然ながら75年前に無念の死を遂げた人の声は聞けない。それで生き残った人を登場させ、周辺から「間接的な描写」を試みたそうだ。

 あくまでフィクションだが、戦争を知らない世代が、敗戦後に生きた人たちの暮らしぶりや心情へと想像を広げ、あの戦争とは何だったのかに思いを致す一助になるはずだ。それこそが、西村さんが娯楽を通じて戦争を書く狙いなのだろう。

 直接の体験がない出来事に、自分なりにどう迫り、伝えるか―。西村さんの姿勢からは、戦争を知らない私たちがいかに記憶を継承するかの手掛かりが得られよう。

 広島国際会議場(広島市中区)で開かれている「原爆の絵画展」もそうした試みの一つだろう。基町高の生徒たちが被爆者の声に耳を傾け、無残に焼かれた人たちを描いた絵が並ぶ。高校生に話して聞かせた被爆者の中には、幼少時の被爆で当時の記憶はなく、母親から聞いて育った体験を語った人もいるという。まさにバトンのように、記憶が受け継がれた作品といえる。

 それぞれの絵には生徒たちの言葉が添えられている。「実際に見たこともない光景をどのように表現するかが難しかった」「どこか昔話のように感じていた原爆を、実感持ってより深く考えることができた」―。被爆者自らが描いた絵とは当然違うが、見る側は心揺さぶられる。

 戦争や被爆の体験はなくても、自分が聞いたり受け止めたりした記憶を、文字に、絵に、音楽に。自分なりの表現で伝えていく。そんな「私の継承」のチャンネルはいくつあってもいい。西村さんの作品もその入り口になるはずだ。

(2020年8月20日朝刊掲載)

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