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『書評』 ワタシゴト 14歳のひろしま 中澤晶子著

被爆資料に「わたし」重ね

 いまの子どもたちの多くは、祖父母世代も戦後生まれだという。

 「被爆体験の風化」が危ぶまれて久しいけれど、75年の歳月を考えれば、若い世代に実感が湧かないのは、やむなきことなのかもしれない。

 それでも私たちはヒロシマの記憶を胸に刻み、語り継がねばならないことを知っている。人類が同じ過ちを繰り返さないために。

 ではどうすれば…。

 本書はその可能性の一端を、修学旅行生たちが織りなす五つの物語でそっと教えてくれる。それぞれに悩みや問題を抱える14歳が原爆資料館(広島市中区)を訪れ、物言わぬ遺品と向き合うことで、遠い昔の出来事をいまの自分に重ねていく。

 例えば、反抗期真っ盛りの俊介。建物疎開作業中に爆死した少年の黒焦げになった弁当箱と出合い、それが頭から離れなくなる。ある朝、母親にいらだって食卓からたたき落とした自分の弁当箱のことを思いだしたのだ。「行きたくもない」と思っていた広島で、「あの日」の朝、「弁当箱を抱いて骨になったあいつ」へと想像を膨らませる。

 生徒に特定のモデルはいないというが、一つ一つのエピソードがリアルで生き生きしている。それは、20年以上広島で修学旅行を支えてきた著者の体験に裏打ちされているからだろう。

 75年前にもたらされた悲惨を、人ごとでなく「私」の問題としてどう捉えるか。それをどう未来に「渡し」ていくか。タイトルにはそんな思いがこもる。

 いま、コロナ禍で広島への修学旅行の多くが延期や中止を余儀なくされている。一方で、オンラインによる被爆体験証言など、遠隔でも被爆の実情について知り、学べるさまざまなオプションも生まれている。

 しかし、被爆地を訪れ、被爆者や遺品と向き合うことでこそ、生まれる化学反応がある―。著者はそれを、しなやかな心を持つ生徒たちに見いだしてきたに違いない。

 コロナが生活を変えても、ヒロシマという「場」が持つ重みは、変わらない。(森田裕美・論説委員)

汐文社・1540円

(2020年8月22日朝刊掲載)

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