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社説・コラム

社説 検証・安倍政治 核なき世界 被爆地の訴えに応えず

 核兵器の廃絶、これは私の信念であり、日本の揺るぎない方針でもあります―。安倍晋三首相は、おとといの退陣会見で質問に答え、そう強調した。耳を疑った人もいたのではないか。

 第2次政権の7年8カ月を検証すると、信念とか、揺るぎない方針と言うほど、核廃絶に積極的な姿勢は見えてこない。

 2016年には、核なき世界を掲げた米国のオバマ前大統領と広島を訪れた。原爆投下国の大統領による初めての被爆地訪問は、歴史的な意義があった。

 その時、首相は確かにこう述べていた。<核兵器のない世界を必ず実現する。その道のりがいかに長く、いかに困難でも、絶え間なく努力を積み重ねていくことが私たちの責任だ>

 しかしその8カ月後、トランプ政権が誕生して以降は、それを忘れてしまったかのようだ。

 トランプ大統領は核戦略指針を見直し、核兵器の使用条件を緩和し、「使える核兵器」という小型核の開発を盛り込んだ。

 揺るぎない信念があるなら反対するのが筋だろう。ところが「高く評価」(河野太郎外相)する始末である。被爆地の訴えに完全に逆行している。

 トランプ政権は、「イラン核合意」から一方的に離脱するなど、「米国第一主義」を掲げて国際協調を傷つけてきた。にもかかわらず首相は「完全に一致」と追随してきた。昨年は、トランプ氏をノーベル平和賞の候補に推薦したほどだ。

 対米追随は被爆国として果たすべき役割に、ゆがみを生じさせた。日本政府が毎年、国連総会に提案している核兵器廃絶決議案がその一例である。

 トランプ政権が発足した17年から核兵器の非人道性に関する表現が後退した。例えば核兵器を使った結果に対する「深い憂慮」という言葉の削除である。

 被爆国として、核なき世界に向けて先頭に立つべき役割を放棄したかのようだ。自覚を欠くと疑われても仕方あるまい。

 極め付きは核兵器禁止条約を巡る対応である。3年前に国連で採択されたのに、決議案には盛り込んでいない。そっぽを向く米国への忖度(そんたく)なのか。日本政府も「時期尚早」などと否定的な態度に終始している。

 被爆地の訴えに沿った内容の条約にもかかわらず、なぜ日本政府は署名・批准しないのか。渋る米国など保有国に参加するよう粘り強く働き掛けるべきではないか。それこそ首相の言う「橋渡し役」のはずだ。

 被爆者に寄り添う―も言葉だけだった。原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を巡る訴訟で、国主導で控訴に踏み切った。全員救済の司法判断を踏みにじるとは許せない。

 国の線引き内で黒い雨を浴びた人は「健康診断受診者証」を交付され、がんや心疾患といった放射線の影響が疑われると国が認める疾病になれば、被爆者健康手帳が交付される。しかし同じように黒い雨にさらされても国の線引きの外の住民は、そうした援護は得られない。明らかに不公平である。

 第2次世界大戦で国民は深く傷つき、核も戦争もない世界を望むようになった。そんな思いと首相の言動には大きな乖離(かいり)がある。とりわけ被爆地の訴えには真剣に耳を傾けてこなかったと言えよう。その反省を次の政権にはまず求めたい。

(2020年8月30日朝刊掲載)

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