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広島平和公園に信念の設計図 丹下健三さん51年に作成

石丸元教授複写保管 29日シンポで披露

 広島市中区の平和記念公園を設計した建築家の丹下健三(1913~2005年)が原爆投下から6年後の51年、バラックが立ち並んでいた中島地区の地図に、公園のデザインを上書きした設計図を作っていた。複写を保管していた元広島大教授の石丸紀興氏(72)=南区=が29日、中区の原爆資料館東館である丹下の生誕100周年シンポジウムで披露する。

 600分の1の縮尺図で縦114センチ、横74センチ。原爆ドームと、原爆慰霊碑、原爆資料館が一直線に結ばれている。

 中島地区で暮らす人々の生活路を記した図面に、丹下は被爆地の象徴となる平和記念公園の姿を思い浮かべた。慰霊碑から7方向に道を延ばした。

 設計図には当時、東京大助教授だった丹下が主宰する研究室の名前や、51年10月30日の日付が記されている。

 丹下は戦前に旧制広島高校(現広島大)で学び、広島市が49年に実施した公園の設計コンペで1等入選。50年にも設計図を編んだ。

 石丸氏は都市計画学が専門。丹下の51年の設計図について「あらゆる方向から人が原爆慰霊碑に向かうよう園路を設計してある。慰霊碑が象徴的な場となるために頭をひねった証しだ」と指摘する。

 シンポジウム「丹下健三と戦後広島の出発点―平和・復興・建築」は29日午後2時から。定員300人。無料。(田中美千子)

(2013年6月22日朝刊掲載)

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