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玉湯空襲 戦禍の声届く 夏の法要参列呼び掛け 松江で「慰霊の会」結成

 松江市玉湯町で75年前にあった空襲の犠牲を悼もうと市民たちが「玉湯空襲慰霊の会」を結成したのを受け、当時を知る地元住民から戦禍の記憶が寄せられている。会は遺族や関係者を探し、毎夏に計画する法要への参列を呼び掛ける。

 玉湯空襲では、終戦間際の1945年7月28日、同町湯町の宍道湖岸にあった海軍基地や、同町布志名の山あいで待避していた山陰線の列車が米軍機の銃爆撃を受けた。戦後、地元で空襲の記憶が薄れる中、今夏発足した同会が町内の寺で法要を復活させていた。

 活動を知って会に便りを寄せた同町布志名の雲善窯の9代目、土屋幹雄さん(84)は、小学3年の時に空襲を体験。列車の停車位置から約200メートルだった家で昼食を取る直前、爆撃音が響いた。しばらくして放心状態の乗客たちが続々と家を訪ね、6畳2間がいっぱいに。当時母親が懸命にお茶を奉仕していた様子を覚えているという。

 「戦争は誰かが止めないと。当時をつぶさに知る人の多くが亡くなる中、わずかなことでも近くの人に伝えることが重要」と話す。

 同市比津町の福田新三郎さん(83)は、母親が列車の乗客だったと電話で会に伝えた。銃爆撃の一発が、隣のつり革で立っていた女性の頭に命中し、着物を血まみれにして帰宅してきたという。福田さんは「命があった分感謝。記憶を伝える会の活動はとてもいい。応援したい」と話した。

 会の発起人、本間順一さん(84)=同市苧町=は「空襲の被害は分かっていない部分も多い。少しでも多くの方と慰霊したい」と話している。本間さん☎090(5264)3407。(三宅瞳)

(2020年9月22日朝刊掲載)

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