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連載・特集

[考 fromヒロシマ] 核巡る問題 広い視座で

被爆75年 2冊相次ぎ出版

 被爆75年の節目の今年、コロナ禍に直面しながらも、広島と長崎から核兵器廃絶への訴えが絶え間なく発信された。被爆者と市民の努力が実り、核兵器禁止条約は発効が目前に迫る。世界中から広島を訪れる観光客も、本当なら昨年以上に増えていただろう。被爆地の存在感は増している。一方で、世界の市民との連帯や、原爆に限らない多様な核被害への関心は不十分、という指摘もよく聞かれる。最近相次いで出版された2冊の本から、ヒロシマの課題を考える。(金崎由美)

「なぜ原爆が悪ではないのか-」 宮本ゆきさん

米、国民犠牲で抑止力維持

 1995年から米国に住むシカゴ・デュポール大宗教学部の宮本ゆき准教授(52)は、広島市出身の被爆2世。岩波書店から「なぜ原爆が悪ではないのか アメリカの核意識」を出版した。「米国に原爆体験を伝え、核兵器廃絶を訴える努力の中で、さまざまな悩みがあると広島でもよく聞く。議論のきっかけにしてもらえればと思った」

 宮本さんは倫理学を教えながら学生と日々接するほか、広島と長崎に研修旅行で引率もしている。被爆証言を聞く若者のまなざしは、いつも真剣。ただ、そこで抱く共感は「強く生きた人間への尊敬心」であり、「廃絶を」という反核意思の共有に至るとは限らない。なぜだろう―。

 宮本さんは、原爆使用と、現在まで続く核兵器開発・保有が米国でどう語られてきたかに着目。教育、映画や漫画、軍と市民の関係などから、被爆地との認識のずれを探った。

 絶えず戦争の当事者であり続ける米国で、「軍の存在の大きさと身近さは、日本の想像を超える。『自分たちを守ってくれる』軍への批判はタブーに近い」と指摘する。銃規制問題に見られるように、武器を「自衛」として肯定し、「武器自体は悪くない。使う側次第、とする人が少なくない」。核抑止論や、自国の核保有を肯定する米国の「例外主義」の発想と符合する。

 戦後間もない時期から、共産主義から身を守る武器、というイメージが国民に刷り込まれ、宗教的な道徳心や愛国心にも根を下ろしていった。核攻撃に備えて机の下に隠れるなどの訓練をする「民間防衛」を米政府が推進すると、家庭を「防衛」する女性の役割が強調された。「核兵器=自衛」がジェンダーの問題をはらみながら、日常生活に浸透した。

 一方、米国内でかたくななまでに注目されないのが、身近な核被害だという。米国は大量の核兵器を開発し、本土ではネバダ州で900回以上核実験を行った。ウラン製造、核兵器や核施設の解体・廃棄など一連のサイクルの中で「米国こそ最大の被ばく国になっている」。

 国民の命と健康、環境と引き換えに維持されるのが核抑止力、という最も都合の悪い事実である。しかし、核兵器を「絶対悪」と見ない国民意識は根強い。原爆開発の拠点で核汚染が深刻なワシントン州ハンフォードでは「校章デザインがきのこ雲の高校もある。日本との戦争を終わらせ、冷戦期の米国を守った、と誇っている」。軍批判の「タブー」は、地域雇用を支える核兵器産業についても同様だ。

 変化もある。宮本さんは住民団体との交流・支援に関わっている。「広島と長崎の市民が、被ばく体験を語り始めたハンフォードの住民たちに耳を傾け、共に声を上げることはできないか」。連帯の始まりになると信じている。四六判、234ページ。3190円。

「世界核被害者フォーラム」報告集 森滝春子さん

構造的な差別と格差 露呈

 被爆70年の2015年11月、被爆者や平和活動家、放射線の専門家、医師らでつくる実行委員会が広島市内で「世界核被害者フォーラム」を開催した。このほど報告記録集「核のない未来を! ヒロシマから世界へ 届けよう核被害者の声を!」を完成させ、3日間の議論の詳細を収録した。

 「原爆だけでなく、核利用サイクルの全ての段階で起こる被曝(ひばく)の実態に、ヒロシマはもっと関心を寄せるべきだ。そうしてこそ世界の核被害者と連帯できる」。市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)」の共同代表で、実行委の事務局長を務めた森滝春子さん(81)=佐伯区=は、フォーラムに込めた思いを語る。

 18カ国から延べ千人以上が出席した。ウクライナ・チェルノブイリ原発事故に詳しい放射線医学の専門家や、福島第1原発事故で避難した住民らが登壇。米ネバダ実験場の周辺の「風下住民」のほか、英国の核実験場があったオーストラリアの先住民も招かれた。

 軍事利用、商業利用を問わず、各地で深刻な核の環境汚染や健康被害が報告された。ウラン採掘や核実験は、権力を持つ側が先住民など弱い立場の者に犠牲を強いることなしに成り立たない、という構造的な差別と格差を浮き彫りにした。最終日に「世界核被害者人権憲章要綱」を採択し、「核と人類は共存できない」と確認し合った。

 森滝さんは長年、世界の核被害者と交流してきた。1998年にインド・パキスタンが競って核実験を強行すると、現地の若者を広島に招き核使用の現実を伝えた。インド・ジャドゥゴダのウラン鉱山や、米軍が劣化ウラン弾を使用したイラクに赴き、健康被害と貧困に苦しむ地元住民と向き合った。

 2002年の交流事業に参加したジャドゥゴダの少年が、26歳になってフォーラムの報告者として広島を再訪してくれた。「一度きりで終わらず、連帯につなげることの意味を実感した。うれしかった」

 世界の核被害者が集う国際会議は、87年に米ニューヨークで、92年にドイツでも開かれた。特に87年は、被爆者として原水禁運動の先頭に立った亡き父・市郎さんが開催に尽力した。今回のフォーラムには「3回目」という位置付けもあった。ただ、さらに次となると森滝さんは「約束できない立場にあり心苦しい」と編集後記につづる。がん闘病中の身。バトンを引き継いでくれる若い世代に望みを託す。

 報告記録集の編集に心血を注ぎ、中断を挟みながら約5年かけて刊行に至った。登壇者や実行委メンバーらと最新情報を加筆。「残念ながらこの間、核を巡る状況はさらに深刻になった。被害者の声を届けることがますます大切になる」。A4判289ページ。送料込み2500円。実行委ファクス082(921)1263。

(2020年9月28日朝刊掲載)

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