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栗原さん未発表詩 優しい人柄にじむ 「闘う原爆詩人」と別の顔

 広島市出身の詩人栗原貞子さんが1986、87年に作った未発表の詩7編を含む直筆ノートの発見。関係者は「反戦や原爆の惨禍を訴え続けた『闘う原爆詩人』のイメージとは異なり、友や家族をいたわる人間味あふれる一面に光を当てる貴重な資料だ」と評価する。

 今年は生誕100年に当たり、広島文学資料保全の会(広島市中区)が資料を整理する中で見つけた。未発表の詩は、孤独をかみしめながらも信念を貫く決意がにじむ「私は私のうたを」をはじめ7編。ほぼ手直しのない詩もあれば、黒や青のペンを使って加筆を重ねた詩、丸ごとちぎられたページもある。

 保全の会は、栗原さんと交流があり「栗原貞子全詩篇」編集に参加した詩人伊藤真理子さん(74)=東京都=たちの協力を得て、直筆の未発表詩と確認した。伊藤さんは「他者を思いやる優しい人柄が伝わる」と話す。

 未発表には家族を詠んだ詩が多い。「かつて母が眠れなかった夜を/私も眠れないでいるのです」と亡き母の記憶をたどる「ねむれぬ夜は」、「人間が生きるということは何だろう/死ぬということは何だろう」と妹の死を悼む「妹よ、安らかに眠れ」など。民営化が進む旧国鉄労働者を励ます「敗北のなかから」は、「われわれのレールがある限り/レールのうたは続くのだ」と明るい力強さがある。

 広島女学院大(広島市東区)とともに栗原さんの資料整理を進める保全の会の池田正彦さん(66)は「峠三吉や大田洋子たち原爆と向き合った作家が他界する中、責任や重圧を背負った。理想と現実の間で苦悩しながらも詩を書き続けた足跡を知ってほしい」と話す。

 直筆ノートは保全の会が7月2日から中区の市まちづくり市民交流プラザで開く文学資料展で公開する。(渡辺敬子)

私は私のうたを

その人はうたった
炎と血と泥のいくさのうたを
それでもこのうたには
ひとすじの希望と
美しいメロディがあった
けれどもとゞまってきく人はまばらで
人々は欲望のたぎる
原色の街へ向って通りすぎた
その人は人々がきこうがきくまいが
私は私のうたをうたう
人が踊ろうと踊るまいと
私は私の笛を吹くと
吹きつづけた
とゞまってきく人のためにうたい続けた
86・9・15

(2013年6月23日朝刊掲載)

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