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ナガサキの心 署名でつないで9年目 高校生、45万人分を国連に届ける

■記者 明知隼二

 被爆地長崎を中心に高校生たちが、核兵器廃絶を訴える「一万人署名」活動を続けている。2001年以来、年ごとに新メンバーを加えながら街頭に立ち、これまでに約45万人分の署名を国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)に届けた。「微力だけど無力じゃない」。高校生たちは自分を奮い立たせ、被爆者から核兵器廃絶への「バトン」を受け取ろうとしている。

 実行委員会に9期目の新メンバーを迎える集いが12日、長崎市の県教育文化会館であった。同市や佐世保市から初めて参加する11人を含む約30人が出席。「頑張って署名を集めたい」と緊張する新入メンバーに、先輩たちは「高校生だからこそできることを考え、一緒に頑張ろう」と励ました。

 活動の主軸は街頭署名だ。主に長崎市内で毎週末と夏休みなど年間100日以上、毎回20-30人が「核兵器の廃絶と平和な世界の実現」を訴える署名を呼び掛ける。

 だが、被爆地の市民が一様に協力的とは限らない。「街頭でさまざまな意見にさらされる」と、発足当初から実行委を支える元小学校教諭の平野伸人さん(62)。被爆者とみられる高齢者から「おまえたちに何が分かる」などと言われ、高校生がショックを受ける場面は珍しくないという。

 新入メンバー歓迎会で被爆体験を語った「長崎の証言の会」代表委員の広瀬方人さん(79)も「『何が分かる』というのは被爆者の本音だろう」と漏らす。「それでも、原爆被害の実情を受け継ぎ、伝えようとする若い人たちの必死な姿は、大人を動かすことができる」と期待を寄せる。

 署名活動のきっかけは、長崎県内の市民団体が1998年から毎年夏に欧州に高校生を派遣する「高校生平和大使」だった。2000年の大使や応募者たちが「自分たちにできる平和活動を」との思いから学校や街頭での署名を提案した。

 2年目には修学旅行で長崎を訪れた高校生たちとの交流を機に、活動は長野県や岡山県などにも拡大。集まった約4万5000人分の署名のうち県外からが3分の1以上を占めた。オランダからも約3000人分が寄せられた。

 昨年からは被爆者の証言をDVDに記録する取り組みも始めた。「今私たちにできることは何か、いつも考えています」。昨年の大使を務めた長崎西高3年の成瀬杏実さん(17)の言葉に、被爆体験を受け継ぐ世代としての責任感がこもる。「長崎の子には、過去と未来をつなぐ責任があると思います」

 19日、新メンバーは初の街頭署名に臨んだ。長崎南山高1年の青木政憲さん(15)は「こんな活動で平和になるのかと年配の男性に言われ、ショックだった」といきなり戸惑いを感じた。それでも「被爆した祖母は誰よりも強く、平和を求めている。僕たちの世代が、二度と繰り返してはいけないと伝えなくては」と前を向く。

活動を支える元小学校教諭 平野伸人さん(62)
「被爆地の若者」自覚生む

 高校生一万人署名活動の活動内容や方針はすべて、高校生たち自身が考えている。当初は「できるかな」と不安に思ったが、私たち支援者は現在、署名場所の確保や寄付金の管理など、事務的な手伝いしかしていない。

 高校生たちに委ねたのは、ある集会がきっかけだった。失敗しないようにと、私は「高校生平和宣言」の文案をつくったが、完成した宣言に私の言葉は全くなかった。稚拙な内容だったが、気持ちはしっかりこもっていた。

 以来、活動内容に口出ししない方針を貫いている。自分たちで何をすべきか考えることで、最初は「友達に誘われて何となく」という子も、いつしか被爆地の若者としての自覚や活動への誇りが生まれる。見ていて頼もしいほどだ。

 彼らは、被爆者の思いを受け継いでくれると期待している。卒業生も進学先で平和団体をつくり、高校生たちをサポートしたり、県外で原爆展を開いたりしている。活動の継続は簡単ではないが、こうした新たな芽を周囲も大事にしてほしい。(談)

(2009年4月27日朝刊掲載)

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