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戦前 教員オケの情熱 広島高等師範の「丁未音楽会」 1930年代写真残る

クラシック普及に貢献

 広島高等師範学校(現広島大)の教員たちが結成したオーケストラ「丁未(ていみ)音楽会」が1930年代に開いた演奏会やラジオ出演の様子を撮影した写真4枚が残っていた。広島でのクラシック演奏の普及に貢献した竹内尚一氏(05~58年)の姿も捉えている。広島大文書館(東広島市)に「丁未」の戦前の演奏会の写真はなく、原爆で一度途絶えた初期の広島音楽史を記録する貴重な史料だ。(桑島美帆)

 聴衆が見守る中、学生服や背広を着た男性たちがバイオリンを奏で、ステージの横にはグランドピアノも見える。34年に広島高等師範学校付属中(現広島大付属中)に音楽教員として赴任した竹内氏が東千田町(現中区)の講堂で初めてタクトを振った演奏会だ。

 広島大文書館などによると丁未音楽会は、音楽教育を研究し、西洋音楽を広めるため、06年に広島高等師範学校の教員と生徒の有志で結成した。楽団名は本格的に演奏活動を始めた翌年の干支(えと)に由来する。

 地域の音楽史に詳しい「ヒロシマと音楽」委員会委員長の能登原由美さん=京都市=は「プロの演奏家がほとんどいなかった時代に、海軍の吹奏楽団と並び広島の洋楽演奏の先駆けだった。竹内氏が戦前、丁未音楽会を指揮する写真は初めて見た」と説明する。

 いずれも34~37年ごろ撮影された。上流川町(現中区幟町)にあった広島中央放送局(現NHK広島放送局)で、34年12月2日にラジオ中継した際の記念写真もある。当日の中国新聞朝刊のラジオ欄には、午前9時半から「丁未の管絃楽」と冠した番組で、ロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル序曲」など4曲を演奏したとある。

 しかし37年7月に日中戦争が始まると、楽団も戦意を高揚するパレードなどに駆り出されるようになっていく。同年秋に広島中央放送局で撮影された写真は、メンバーのほとんどが管楽器を手にしている。能登原さんは「戦況が影響しているのだろう」とみる。

 竹内氏は呉市出身で、広島高等師範学校付属中から東京音楽学校(現東京芸大)器楽部へ進んだ。34年から約9年間、広島高等師範学校付属中と広島文理科大で教壇に立ち、地元の音楽教育の草創期を担った。被爆時は東京にいたが、戦後は再び広島で音楽教育の復興に尽力した。竹内氏から音楽理論を学んだという広島大元学長の原田康夫さん(89)は「穏やかな中に、音楽にかける情熱を感じた」と振り返る。

 写真は、学生時代に楽団でバイオリンやチューバを担当し、後に可部高の校長も務めた茶村又一さん(94年に79歳で死去)のアルバムに貼られていた。長男の達男さん(76)=広島県府中町=が父の遺品を整理中、被爆前の写真を集めた本紙連載「ヒロシマの空白 街並み再現」を目にして処分を思いとどまったという。近く、父が大切に保管していた他のアルバムとともに広島大文書館へ寄贈する。

(2020年10月19日朝刊掲載)

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