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社説・コラム

[NIE これ読んで 担当記者から] 旧満州引き揚げ 苦難刻む短歌

■三次支局・高橋穂

体験継承の熱意伝わる

 旧満州(中国東北部)で戦時中を過ごした親族の過酷な引き揚げ体験を、三次市四拾貫町の元教諭藤原勇次さん(69)が15首の短歌にした。父親と離ればなれの逃避行や、乳飲み子を亡くした悲劇…。戦後75年がたち、戦争体験者の高齢化が進む中、苦難の記憶を後世に伝えている。(10月20日付朝刊)

 日本は戦時中、朝鮮半島や中国、台湾などを支配下に置いていました。戦争が終わり、海外で暮らしていた人々や兵士が次々と帰国します。藤原さんの妻の姉、甲口和子さん(78)=広島市東区=が生まれた旧満州からは、100万人以上が日本に引き揚げました。

 終戦直前、1945年8月9日にソ連軍が満州に攻め込みました。戦火の下を命からがら逃げ惑う人々。甲口さんの一家も、その中にいました。

 ≪日本人の墓地に守を埋めむとし髪きり爪はぎ鞄(かばん)にしまふ≫

 1歳だった甲口さんの弟の守さんは帰国前に急病で亡くなってしまいます。その話を甲口さんから聞き、短歌に詠んだ藤原さんは「せめてもの形見にと、わが子の小さな指から爪をはぐ時の気持ちを想像すると、胸が張り裂けそうになる」と振り返ります。

 住む場所をなくした海外で、長い道のりを逃げ続ける。どれだけ不安で苦しかったことでしょう。それでも甲口さんは「戦後、日本に引き揚げて何とか暮らすことができた私たち家族は恵まれている。過酷な運命をたどった人がたくさんいるのだから」と話します。

 親と死別したり、現地の家庭に預けられたりして、多くの日本人の子どもが中国に取り残されました。この「中国残留孤児」と甲口さんは同世代。だからこそ「恵まれていた」という言葉が重く響きます。

 戦争は人々にどれだけ過酷な運命を強いるのか。戦後75年を経た今、戦争体験を記録する人々の熱意を、過去の事実に学ぶことで受け継ぎたいものです。

(2020年10月25日朝刊掲載)

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