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社説・コラム

『潮流』 希望のPCR

■備後本社編集部長 吉村時彦

 コロナ禍ですっかりおなじみになったPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)検査。1個のDNAを、何百万個以上に増幅させる技術が用いられている。DNA型の鑑定に大きく貢献するこの技術はコロナウイルスの検査だけでなく、さまざまな場面で役立ってきた。

 ちょうど10年ほど前、抑留先のシベリアで眠る仲間の遺骨を現地で掘り起こし遺族に戻していた福山市の坂井正男さんもこの技術に希望を託していた。

 極寒の地で命を落とした仲間の苦しみを背負った人生だったのだろう。80歳を超えて現地に赴き、100以上の遺骨を持ち帰った。遺品もない遺骨の照合は困難を極めたが、PCRを通じたDNA型鑑定がその「帰還」を可能にした。

 鑑定がなかなか進まず、「もう時間がない」と焦っていた坂井さん。2016年に93歳で世を去った。それでもシベリア南部の旧チタ州カダラ村から持ち帰った遺骨は、国によってDNA型の解読を終えた。今も遺骨すべてが遺族に戻ったわけではないが、関係者から申し出があれば新たな照合も行える。

 国の遺骨返還事業ではフィリピンやシベリアの他地域から戻った骨が日本人以外のものというケースも多数確認された。現地の人たちの記憶違いや収集作業のずさんさがあったのは間違いない。だからといって坂井さんたちの取り組みの価値が変わるものではない。1人でも多くの返還が実現してほしい。

 この夏、連載「備後の戦後75年」を掲載した。坂井さんのように、あの時代を生きた人たちが次々に世を去っている。その記憶をどう伝えていくか、節目の年にきちんと考えたいと思ったからだ。「遺骨をすべて戻さない限り、わしらの戦争は終わらん」。答えはなかなか見つからないが、PCRの単語を聞くたび坂井さんの言葉を思い出す。

(2020年10月27日朝刊掲載)

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