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連載・特集

核兵器禁止条約発効へ <下> 老いる被爆者 願い切実

75年 歳月の重み影落とす

 核兵器禁止条約の発効に必要な批准国・地域が50に達したとの知らせが伝わった翌25日、広島市中区の原爆ドーム前に、被爆者や平和団体の関係者たちが集った。「核兵器廃絶への大きな一歩だ」「これからが大事だ」。喜びの言葉が発せられる一方、今後も続く核兵器廃絶までの険しい道のりと、これまでに要した75年という時間の重みが影を落としていた。

 長年にわたり被爆地の「顔」を担ってきた県被団協の坪井直理事長(95)の姿はなかった。近年は高齢のために公の場に姿を見せておらず、この日もコメントを発表。「大きな興奮を覚えている」と祝福したが、「喜びと同時に、ようやくここまでかとの複雑な思いがある」との一節に、廃絶の歩みが緩やかにしか進まない現状に対するもどかしさがにじむ。

喜びと悲しみ

 「喜びと同時に、悲しみもある」。にぎわう会場の中、自らを戒めるように語ったのは、病身を押して参加した「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(HANWA)の森滝春子共同代表(81)=佐伯区=だ。率直に喜ぶ時間は長くなかった。

 被爆地からの反核平和運動をけん引し、禁止条約の推進にも力を入れた森滝さん。自身は疎開で被爆を免れたが、戦後の苦しい生活の中で核兵器廃絶の運動に立った被爆者たちに接し、運動の先頭に立った父市郎さんをはじめ大勢の被爆者の死を見届けてきた。

 「核兵器の最後の1個がなくなるまで、原爆によって理不尽に奪われた命も、被爆者の先達の思いも、背負っていかないといけない」。時が移り、被爆者が抱える生々しい記憶が伝わりにくくなっていると感じている。

訃報が相次ぐ

 被爆者の平均年齢は83歳を超え、訃報も相次ぐ。日本被団協代表委員を務めた岩佐幹三さんは9月、91歳で死去。修道中の在学中に被爆して母と妹を亡くし、核兵器廃絶に尽くしたが、条約発効を見届けられなかった。長崎で被爆し、やはり代表委員だった谷口稜曄(すみてる)さんも2017年8月、条約採択の翌月に亡くなった。88歳だった。「被爆者がいなくなった時、どんな世界になっていくのか」と憂えていた。

 「生きている間に廃絶を実現したい」。平和市長会議(現平和首長会議、会長・松井一実広島市長)は03年、被爆者のそうした願いを基調に、行動指針「2020ビジョン」を策定し、20年までに禁止条約の実現を経て廃絶を達成するとしたが、実現には至らなかった。

 来夏に次期ビジョンをまとめるが、同会議は「平和への大きな潮流をつくる環境づくりを進める」(松井市長)とし、廃絶の目標年限は盛り込まない見通しだ。

 ドーム前の集会には、被爆者の岡田恵美子さん(83)=東区=の姿もあった。全ての国に禁止条約への参加を呼び掛けるヒバクシャ国際署名に心血を注いだ1人だ。声を掛けると複雑な表情を見せた。「だって核兵器がなくなったわけじゃないでしょう」

 あの日、家を出たきり帰らなかった姉を今も待ち続ける。「あとはどれだけの人が、命も魂も奪う原爆の恐ろしさを本気で考え、廃絶へと行動してくれるかです」。被爆者の願いに直接応えるために残された時間は短い。(明知隼二)

(2020年10月29日朝刊掲載)

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