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「リトルボーイ」模型 移設 東京・墨田区→江戸川区 実物大 故福地さん制作

 「一発の核兵器が持つ破壊力と人間に対して実際に使われた歴史を伝え続けなければ」。そんな執念を込めて東京の被爆者が作った広島原爆「リトルボーイ」の実物大模型が、所有する墨田区の「すみだ平和原爆写真展実行委員会」から江戸川区の被爆者団体「親江会」に引き継がれた。

 模型作りを発案したのは故福地義直さん。14歳のとき、爆心地から約1キロの広島市国泰寺町の自宅で被爆した。3年後に上京。原因不明の発熱や腹痛で入退院を繰り返し、さまざまな病気に苦しんだ。自分も患うC型肝炎で原爆症認定を求めて裁判を争う被爆者の存在を知り、2001年に認定を申請。却下されると集団訴訟に参加した。

 被爆体験を語り始めたのはその頃からだった。墨田区の団地で経営する雑貨店の隣の空き店舗を借り、被爆の実態を伝える写真や絵の展示室を開いた。米国が落とした原爆の実物大模型を置きたいと思い立ち、同区で溶接業を営んだ被爆者の故野崎七郎さんの協力を得て完成させた。

 直径約0・7メートル、長さ約3メートル。真ちゅう製の骨組みに紙を貼り合わせた。当初は青色で修復時に黒色に塗り直した。近くの小中学校の児童・生徒が授業の一環でたびたび見学に訪れた。「これが落ちて街が消えたの」と威力を実感していたという。長崎原爆「ファットマン」の模型も作った。

 福地さんは肝臓がんで05年、亡くなった。模型は同実行委が活用してきたが、保管場所が確保できなくなり親江会に譲渡を申し入れた。江戸川区内の施設で保管されることになった。

 1日に江戸川区であった引き継ぎ式。親江会は、広島東洋カープ元監督の山本浩二さんの兄でもある山本宏会長(82)たち約60人で出迎えた。山本さんは「核兵器の恐ろしさを多くの人に実感してもらうよう末永く活用する」と誓った。同実行委代表で墨田区の被爆者団体「墨田折鶴会」の湊武会長(77)は「福地さんの思いと一緒に迎えていただき感謝したい」と話した。(山中和久)

(2020年11月16日朝刊掲載)

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