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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説主幹 宮崎智三 原爆被害の全体像 国の責任で「空白」に迫れ

 広島への原爆投下直後、放射性物質を含む「黒い雨」は一体、どの範囲に降ったのか―。再検証する国の検討会が今週始まった。降雨区域のシミュレーションや土壌分析など五つの項目ごとにワーキンググループを設けて調査に乗り出す。

 国は、被爆者の生活や健康状態に関する実態調査を10年おきに続けている。しかし原爆被害について、国が音頭を取って調べる今回のようなケースは極めてまれだ。

 重い腰を上げたのは、黒い雨を巡って完全に敗訴したからだ。7月下旬の広島地裁判決では、国が基準とする降雨区域が真っ向から否定され、その区域外で黒い雨にさらされた原告全員の救済が命じられた。

 国は、反対する広島市や県を押し切って控訴に踏み切った。それと引き換える形で「区域拡大も視野に入れる」という検討会を設けたのだ。

 国が本気で実態に迫るつもりなのか正直疑わしい。10年前、広島市や県が独自調査に基づき区域拡大を求めた際、「合理的根拠はない」と退けた専門家たちを、今回の検討会座長などに起用しているからだ。

 調査そのものも楽観はできない。

 例えば降雨区域のシミュレーション。地形や原爆による火災の上昇気流などスーパーコンピューターを使えば、大がかりなモデルで検証できるという。しかし気温や風向きといった、原爆投下前の基礎的なデータを正確に把握できるか疑問だ。

 軍事機密の壁もある。例えば、原爆の原料のウラニウムを取り囲んでいた金属の組成だ。鉄にタングステンも含まれていたというが、その比率が分からなければ、爆発でどんな物質がどのぐらいの量、どこまで飛び散ったのか、計算できない。

 逆に、近年得られた新たな知見もある。東京電力福島第1原発事故で飛び散った放射性微粒子のデータである。検討会で広島大の鎌田七男名誉教授が指摘したが、約350キロ離れた静岡まで飛んだという。

 広島では、黒い雨より広い範囲で飛散降下物やちりが降っていた…。気象庁気象研究所の増田善信元研究室長は、自身の調査結果を検討会で述べた。放射線微粒子の追跡も、被害の解明には不可欠ではないか。

 原爆に由来する放射性物質を探す土壌調査は、さらに難航しそうだ。半減期が30年のセシウム137が探しやすい。しかし米国や当時のソ連が1960年代前半までに繰り返した大気圏内核実験で、世界中にばらまかれている。どこにでもあるから検出されても核実験によるものか、原爆由来か判別しにくい。

 調査地点選びも難しい。広島の研究グループが調べた10年前は、米ソが核実験をする前の46~48年に建てられた家など20軒の床下を掘って土を採取し、測定した。核実験と関係ないセシウム137と判断したケースもあったが、国は「原爆由来の確証はない」として退けた。今回、二の舞いになる恐れも否定できない。

 半減期のもっと短いものは既に残ってはいまい。75年前の原爆由来の放射性物質探しは結局、無いものねだりでしかないのかもしれない。

 丁寧に調査すれば時間がかかり、一審で全面勝訴した原告の救済が遅れかねない。調査に専念するため国は控訴を取り下げるべきだ。

 原爆被害の全体像解明は国の役割だ。国際基準になった放射線影響研究所のデータだが、被爆直後から5年後までの犠牲者のことは反映されていない。この5年間の「空白」をはじめ分かっていないことは多い。

 内部被曝は無視できるとの意見もあるが、その影響を考えないと合理的な説明がしにくいケースもある。例えば原爆投下時には放射線が届かないほど遠くにいたが、家族を捜すなどで爆心地近くに来て、急性症状を示して亡くなった人たちだ。メカニズムの解明が求められる。

 1月に発効する核兵器禁止条約は使用や実験による犠牲者支援を第6条で義務付けている。日本が参加する前でも、広島・長崎で培った知見は世界で生かせるはずだ。そのためにも、原爆被害の「空白」解消を、国の責任で進めなければならない。

(2020年11月19日朝刊掲載)

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