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社説・コラム

天風録 『原爆と心中するまでは』

 人の中に隠れる。広島や長崎から戦後上京した被爆者の多くは、それが習い性となったらしい。ピカに遭った過去を知られずに暮らし、結婚や就職で差別から逃れるためである▲東京で発足した被爆者団体の名前にも、原爆や被爆の文字は見当たらない。墨田区の墨田折鶴会、八王子市の八六九(はちろく)会、都全体の東友会といった具合に。放射線はしかし、浴びた人々の体を次第にむしばんで、被爆という過去をあぶり出していった▲福田良弌(りょういち)さんもその一人。広島の爆心地近くで自宅の下敷きとなり、10歳で天涯孤独となった。懸命に働き、49歳の時に都内の路上で心臓発作を起こす。入院先から東友会に掛けてきた電話の相談カルテに残る第一声が切ない。「被爆者なら助けてくれるのか」▲その後、がんに侵された。遺影とともに核廃絶の叫びが日本被団協のホームページにある。「原爆は俺の体の中でガンになって生きている。俺は死ねないんだ。原爆と心中するまでは」▲そんな願いを受け止め、核兵器禁止条約が年明けに発効する。背を向けて恥じない被爆国日本の政府とは何なのだろう。「原爆と心中する」と収まらない無数の声が、あの世からも聞こえてくる。

(2020年11月20日朝刊掲載)

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