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連載・特集

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート②

 故郷の島根県吉賀町は自然が豊かな山里だが、虫や花に心を躍らせることはなく、自動車や機械類が好きでカーデザイナーになりたいと思っていた。益田高校の美術部で油絵を描き始め、浪人を経て東京造形大に進学した。マルセル・デュシャンやドナルド・ジャッドといった「難解」なアーティストを知り、どうしたら理解できるのかと、池袋にあった西武美術館や品川の原美術館などに飽くことなく通って解答を探し求めた。

 1982年に未知の地であった広島で就職した。学校教諭の仕事はやりがいがあって楽しく、広島県立美術館やひろしま美術館、デパートの展覧会などに通ってはいたものの、現代アートや自らの作品制作からは離れていた。

 89年、広島市現代美術館が開館することを知り「何かが起こりそう」と予感がした。イタリア美術を収集するふくやま美術館も開館し、触発されて、制作を再開した。89年、広島市現代美術館の第1回公募「広島の美術」で奨励賞に選ばれ、創作意欲に火が付いた。被爆2世の妻と家庭をもったが、子育てもせず休みも取らず制作に没頭した。99年、全国から集めた8月6、7日の新聞200枚を板に貼り付けた立体「0055 HIROSHIMA TIME 1999」で大賞を受けた。

 大学は絵画専攻を卒業したが、立体表現のほうが適性があるように思えた。広島市などが並木通りや平和大通りで開催していた、地元彫刻家の作品をライトアップする「プロムナードオブジェ」に参加。その経験は、後の表現に深く関わっていくことになった。(美術家=広島市)

(2020年11月21日朝刊掲載)

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート①

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート③

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート④

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑤

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑥

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑦

緑地帯 原仲裕三 ヒロシマと現代アート⑧

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