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社説・コラム

天風録 『りっぱなゴリラになりたい』

 普通なら席を蹴ってもいい。招いた講師を主催者が「近代ゴリラ」と呼び、聴講料を「飼育料」と称してからかう。それを当人が面白がり、その姿を見て学生も笑った。1969年、三島由紀夫対東大全共闘―▲思想は「水と油」の討論会のはずが、あらゆる質問に三島は答え、白熱した。「やる時にはやらなきゃならん」と言い、その日に備えて体を鍛錬し「りっぱなゴリラになりたい」と笑わせた。「その日」が翌年に訪れると思った学生はいただろうか▲東京・市谷の陸自駐屯地で三島が自殺して、きょう50年。その行いを巡る議論は今なお分かれるだろうが▲三島の原爆と核への立ち位置も微妙だった。本紙の古い記事を探ると、中央公論で56年に被爆者の座談会が組まれたのは、彼の協力によるという。だが、67年の週刊朝日では原爆投下を虐殺と指弾しながらも、核兵器を「良心の呵責(かしゃく)なしに作りうるのは、唯一の被爆国・日本以外にない」と述べた。核武装肯定論は賛同し難いが、ヒロシマは戦後の始まりだったといえよう▲三島は「諸君の熱情は信じます」と討論を結び、共闘の誘いは「拒否いたします」とまた笑わせる。互いの熱情を信じた時代ではある。

(2020年11月25日朝刊掲載)

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