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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 田原直樹 描かれなかった古関

被爆地へのエール 大切に

 古関裕而を主人公のモデルとしたNHKドラマ「エール」があす最終回を迎える。俳優陣によるコミカルなやりとりや古関メロディーがちりばめられ、高い人気を得た。一方で戦場のシーンなど痛ましい場面も描きだした。

 放送開始前の1月、この欄で古関と広島の関係を取り上げたこともあって注目していた。ドラマとはいえ古関と重なる主人公はどう描かれたか。古関の人生と音楽が現代に問うものは何か。終幕を前にたどってみたい。

 その作曲家人生は大きく2期に分けられる。戦前・戦中期と、戦後。昭和史とともにあった古関メロディーには、やはり戦争が付いて回る。図らずも戦争に関わっていく姿と、敗戦後に苦悩する主人公像を、ドラマも描いていた。

 実際の古関は、ヒットを出す前の1932年に「肉弾三勇士の歌」などを手掛けた。日中戦争が始まるや「露営の歌」などを多く作り「軍歌の覇王」とまで称される。ところが劇中は、軍歌でなく「戦時歌謡」と表現されていたのは理解に苦しむ。

 あくまで古関はモデルであり、史実を追うドラマでないのは分かる。それでも幾つか重要な部分で、史実との違いに違和感を覚えた。

 例えば、戦場のシーン。朝ドラで描くのは異例だろう。主人公の目前で恩師が銃撃され、息絶える。音楽で戦争に協力した責任を自問していく重要な場面になっていた。古関は中国など戦地に3度赴いたものの、最前線には行かなかった。兵士が死ぬ戦闘を見てはいない。

 戦争との関わりでも自らの責任に触れる明確な言葉は自伝「鐘よ鳴り響け」には見当たらない。もちろん「露営の歌」「暁に祈る」など自作曲で兵士が戦地へ送られたのは痛いほど分かっていた。「若鷲の歌」を聞いて飛び立った若者に胸が痛むと戦後のインタビューで語っている。

 そういった点を踏まえても、主人公が自責の念から2年近くも作曲を再開できなかったという設定には、やはり引っ掛かる。

 実際の古関は、敗戦の2カ月後にはラジオドラマの音楽を書いた。戦争協力の責任を背負い、復帰に時間を要したのは、同郷の歌手伊藤久男(劇中は佐藤久志)である。「露営の歌」や軍歌を数多く歌った伊藤は敗戦を知るや「歌手生活もこれで終わり」と酒におぼれた。

 さらに気になったのは、主人公が戦争の記憶や自責の念に苦しんだ末に克服し、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の音楽を作るという筋書きだ。古関が苦悩しつつ書いた曲があったとすれば、ヒロシマの歌ではなかったか。そう考えている。

 「歌謡ひろしま」という曲の存在を福島市古関裕而記念館の学芸員、氏家浩子さんに伝えると驚かれた。「終戦翌年に作曲依頼を受けたとは…。それも被爆地広島の曲を」

 中国新聞社は46年夏、被爆1周年の記念事業として歌詞を募る。選ばれた被爆者の詞に古関が曲を付けた「歌謡ひろしま」。1月の記事で紹介し、74年ぶりに日の目を見た。

 敗戦から1年ほど、古関が作ってレコード化された歌は数曲だった。「軍歌の覇王」のイメージが色濃い古関には依頼が少なかったのかもしれない。そこへ被爆地からの依頼が舞い込み、平和を願う曲を作る。

 古関の談話が当時の中国新聞にある。「歌詞は品があり(中略)立派なもの」「作曲にも苦心して何処でも誰にでもうたへるやうにした」

 被爆地にとって重要な意味を持つ歌。ヒロシマの音楽を研究する能登原由美さんによれば「確認できているもののうち、もっとも早い作品とみられる」。著書「『ヒロシマ』が鳴り響くとき」にそう記す。

 作曲家人生にも画期となったはずだ。音楽で戦争協力したと問われないかと、心配していたという古関。しかし「歌謡ひろしま」を作曲し、原爆や戦争の犠牲者を悼み、傷ついた人々を励ました。それが「軍歌の覇王」を返上し、再び歩みだすきっかけになったのだろうと思う。

 被爆地との「縁」を大事にしたようだ。古関は翌年、今度は長崎からの依頼を受ける。原爆で肉親を失った復員兵が中心となって取り組んだ慰霊の盆踊り大会。47年8月9日の夜、古関作の音頭「長崎盆踊り」で3万人が踊った。ことし10年ぶりに再開予定だったが新型コロナウイルスの影響で残念ながら中止された。

 49年、名曲「長崎の鐘」を作る。実際は古関と永井隆博士は会っておらず、ドラマは創作である。それでも胸を打つ歌ができたのは、「歌謡ひろしま」「長崎盆踊り」の経験があったからではないか。

 ドラマ「エール」はどんな時代にも人々を元気づける主人公の物語として、いま求められているものだった。ただ感動的なドラマにしようとする余り、分かりやすい物語に仕立てられた印象も受ける。敗戦翌年の被爆地とのつながりが描かれなかったのは残念でならない。

 とはいえ古関イヤーに再発見できた被爆地との縁。「歌謡ひろしま」は今、合唱を愛好する市民グループによって歌われているようだ。コロムビアの歌手がCD化もしており、カラオケでも楽しめるという。

 ドラマは終わるが自伝を読むなど作曲家の歩みや素顔に触れてはどうだろう。古関メロディーの味わいが増すはず。広島と長崎に寄せられたエールも大切にしたい。

(2020年11月26日朝刊掲載)

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