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[ヒロシマの空白 被爆75年] 理研の遺骨 遺族に返還へ 広島市、1字違いの原爆犠牲者調査 道原「菊間」さんと結論

 広島市が、理化学研究所(理研、本部・埼玉県和光市)から引き取った原爆犠牲者の遺骨のうち、「道原菊馬」さんと記された遺骨について、漢字が1字違いの道原菊間(みちはら・きくま)さん=吉和村(現廿日市市)出身=の遺骨と結論付けたことが25日、分かった。市が菊間さんの遺族から申し出を受け、調べていた。返還に向けて最終調整を進めている。(水川恭輔)

 「道原菊馬」さんの遺骨は、市が12日に理研から引き取った遺骨28点の一つ。紙の袋に名前が記されていた。記録などから、原爆投下直後に理研の研究者が加わった陸軍省の調査班が広島から持ち帰ったとみられる。市は、名字と名前が分かる「道原菊馬」さんと「キの内藤四郎」さんの2人の遺骨について、返還に向け遺族を探している。

 この情報を知った菊間さんの妹の岩田キヨ子さん(83)=廿日市市=が家族とともに広島市に申し出て、本人かどうかの調査を依頼。市は家族が保管していた戸籍謄本などを参考に調査を進めた。

 市は、被爆後の1945年8月31日に宇品の病院で亡くなった陸軍兵の菊間さんと、9月1日に「道原」さんの遺骨を放射能測定したなどと記す陸軍省の調査班の記録に「齟齬(そご)がない」と確認。菊間さんのほかにも、「道原菊馬」と1字違いなどで同一人物とみられる犠牲者がいないか、市原爆死没者名簿などを調べたが、当てはまる記録は見つからなかったという。

 市調査課の河野一二課長は「戸籍謄本や陸軍省の調査班の記録などから総合的に判断し、道原菊間さんの遺骨で間違いないと結論付けた」と説明している。

 吉和村出身の菊間さんは、広島市内に拠点を置く部隊に配属され、18歳の若さで未来を断たれた。岩田さんは「やはり兄で間違いないと確認してもらい、安心しました。生前の兄を知る実家の近所の方たちからも『(遺骨を)お迎えしたい』と声を掛けられます。故郷の吉和のお墓に早く納めたい」と話している。

(2020年11月26日朝刊掲載)

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