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社説・コラム

『潮流』 よみがえる小谷伝一

■特別論説委員 佐田尾信作

 先日、本紙県北版を読んでいて「小谷伝一」という見出しの記事に驚いた。江の川漁協初代組合長の小谷伝一氏を顕彰する動きを報じていたが、被爆者で元毎日新聞記者の山野上(やまのうえ)純夫さん(91)から、よく聞かされた名前だったからだ。

 小谷氏は三次市三良坂町生まれ。1946年から51年まで広島県議会議長の任にあった。50歳の頃に視力を失ったが、晩年も江の川漁協の組合長として地域と流域に尽くしたという。73年に88歳で亡くなる。

 山野上さんは広島高師付属中(現広島大付属中高)在学中に被爆。53年に毎日の記者になって初任地が広島だったことから、議長退任後の小谷氏を直接知る一人である。10年前、駆け出しの思い出を本紙文化面連載「緑地帯」に寄せてもらった折、その1本を「こんなに当惑したことはない」と書き起こしていた。

 というのも近年、東京都内の市議会で全盲の副議長が誕生した際、ある新聞が全盲の議長や副議長は国・地方を通じて初めて、と報じたのである。それは違う、広島県議会に小谷伝一という人がいた―と山野上さんは指摘したが、その新聞ではすぐには事実を確認できなかったという。

 過去の本紙を繰ると、47年に昭和天皇を出迎えた記事に始まり、県政の動静に関して小谷氏の名前は散見されるが、人となりを紹介したものはない。没後は「緑地帯」が久々の記事だった。くだんの新聞が調べきれなかっただけではなく、占領下の地方政界の記録には欠落した部分が多々あるのかもしれない。

 浜井信三広島市長、大原博夫県知事ら当時の要路も直接知る山野上さんは「確かな心眼で県政の将来を見据えた人」と小谷氏を評した。県北版の記事を送ったところ「ベッドの上で書きました」と、早速礼状を頂く。まだまだ教示を受けなければと思っている。

(2020年11月28日朝刊掲載)

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