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社説・コラム

『潮流』 志村さんの「エール」

■論説委員 田原直樹

 小学生の頃、土曜の夜8時を心待ちにした者には先週、一瞬映った志村けんさんの笑顔がうれしかった。

 古関裕而を主人公のモデルとするNHK朝ドラ「エール」のこと。志村さんは急逝前に撮影された映像のみで作曲家を演じたが、終幕で再び登場した。

 役どころは山田耕筰がモデルだった。西洋音楽を学び、日本初の交響曲やオペラを書いた音楽界の重鎮。志村さんは自身のイメージと違う、権威主義的な人物像をしかめ面で演じた。

 古関は戦時中、軍歌を数多く作った。山田はもっと大物だった。劇中の通り、軍部に近く音楽で戦意高揚に尽くす。音楽挺身(ていしん)隊の結成など中心的役割を担い、軍服姿で慰問もした。

 軍歌などを書き、「他の芸術に比して音楽が端的にいかに国民の士気を鼓舞するか」「戦争の役に立たぬ音楽は今は要らぬ」などと述べ、報国を促した。

 その報いとして敗戦後、新聞上で糾弾される。「楽壇の軍国主義化に於(お)いても…私利追求に於いても…典型的な戦争犯罪人」だと。

 これに山田は「祖国の不敗を希(こいねが)う国民としての当然の行動」だったと反論。今は「敗亡日本を蘇活さす高貴な運動を展開すべき」と訴えた。変わり身が早いのか、罪滅ぼしか。戦後は平和の調べも手掛ける。

 この1年、「歌謡ひろしま」の記事を書いてきた。被爆の翌夏、中国新聞の依頼で古関が曲を付けた広島への「エール」だった。

 その古関に先立つ6月、山田は「原子爆弾に寄せる譜」を作曲。9月、広島のバレエ団が舞台化した。

 また、広島市出身の詩人大木惇夫と「ヒロシマ平和都市の歌」を作る。長崎で被爆した医師永井隆の詩にも曲を付けた。古関の歩みとどこか重なるようだ。

 被爆地への「エール」を書いた作曲家2人。戦後の山田を、志村さんならどう演じたか。見たかった。

(2020年12月5日朝刊掲載)

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