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「きのこ会」 発足呼んだメモ 原爆小頭症の被爆者と家族支える ABCC元職員 山内さんの遺品から発見

診察記録探り「内部告発」

 米国が占領期に設置した原爆傷害調査委員会(ABCC、現在は日米所管の放射線影響研究所)元職員で、今年7月に89歳で亡くなった広島市中区の山内(やまのうち)幹子さんの遺品から、原爆小頭症患者16人の名前と生年月日を内部資料から書き写した直筆メモが見つかった。被害者の存在を社会に知らせ、当事者や家族たちでつくる「きのこ会」の発足につながった資料だ。(山本祐司)

 長女の原森泉さん(63)が見つけた「小頭症関係」と書かれた封筒に、ABCC小児科部長を務めた故ロバート・ミラー氏が1956年に発表した日本語訳の論文「広島に於(お)ける胎内被爆児中の小頭症に就(つ)いて」のコピーが入っていた。

 母親のおなかの中で被爆し障害を伴う16人について、名前ではなくABCCで使用する6桁の診察番号と、頭囲や身長などに言及している論文。その裏面に、診察番号と符合する患者の名前が山内さんの筆跡で書き記されている。

 時期は65年とみられる。きのこ会事務局長の平尾直政さん(57)は、生前の山内さんから当時について聞いたことがあるという。被爆者支援に尽力した歌人の故深川宗俊さんから依頼を受け、論文を手掛かりに秘密書類だった個人の診察記録を所内で探った。提供した16人の情報は中国放送記者の故秋信利彦さんらに渡り、患者と家族を把握して同年中に会を立ち上げるのに役立った。

 ABCCは小頭症を患う子の親に「妊娠中の栄養失調が原因」と説明しており、家族は孤立していた。会の結成と運動が実って67年、国は原爆との因果関係を認め、手当支給を始めた。現在、きのこ会は当事者15人と家族、支援者で活動している。

 山内さんが「内部告発」へと行動したのは、かつて「診察すれども治療せず」と言われた原爆投下国の研究施設で働く後ろめたさを感じていたからではないか」と平尾さんは推し量る。「そして、自分だけが原爆を生き残った負い目がある、とも語っていた」

 原爆投下時、山内さんは広島女子高等師範学校付属山中高等女学校の2年生。雑魚場町(現中区)の建物疎開に動員された1、2年生は、約360人がほぼ全滅。校舎も壊滅した。自身は入市被爆した。

 「誰が亡くなったかも分かっていない」と戦後、電話帳を手に元同級生の親族と思われる家に連絡しては安否を尋ねた。「私だけ生き残ってごめんね」と語りながら、卒業生たちと85年に「追悼記」を刊行した。

 「社会から見過ごされがちな人の力になりたいと、感情のまま行動する一生でした」と原森さん。きのこ会会長の長岡義夫さん(71)は「山内さんの存在と勇気ある行動なしに、会はできなかった」と振り返った。

(2020年12月15日朝刊掲載)

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