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緑地帯 小田原のどか 彫刻を読む <5>

 水俣病公式確認から40年目の1996年、熊本県水俣市に「水俣メモリアル」が完成した。無数のステンレス球とガラス板を用いて水俣病の教訓を伝え続ける、犠牲者の慰霊の場として建設された。作者はイタリアの建築家ジョゼッペ・バローネ。国際コンペで磯崎新が選んだ。

 忘れてはならないのは、ここが水俣湾の埋め立て地「エコパーク水俣」に位置するということだ。高濃度の汚染ヘドロを浄化せずに覆った「隠蔽(いんぺい)の地」でもある。水銀による汚泥が漏れ出ないようにするための鋼板の耐久年数は50年ほどだといわれている。90年に「エコパーク」が完成してから30年。もしもまた大きな地震に見舞われたとき、液状化現象によってヘドロが漏れ出てこの場所が再び汚染の地になる恐れがある。

 「エコパーク」にはほかにも慰霊碑や環境彫刻がいくつも存在する。しかし、そのような埋め立て地が覆い隠している記憶について碑文などで触れたものは存在しない。これはとても残念なことだ。

 97年から毎年5月1日に「水俣メモリアル」で開かれていた水俣病犠牲者慰霊式は2006年以降、遺族らの希望で「エコパーク」内の別の慰霊碑前で催されている。犠牲者名簿もそちらに移動され、「メモリアル」はもはや公式な慰霊の場でなくなってしまった。

 なぜこの「メモリアル」が受け入れられなかったのか、考えていかねばならない。慰霊碑や彫刻はただ存在するだけでは機能しない。その意味が語られ続けることでこそ、存在することができる。(彫刻家=東京都)

(2019年10月29日朝刊掲載)

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