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社説・コラム

「歩いた」「考えた」2020年回顧 コロナ禍 社会・価値観揺さぶる

 オピニオン面で木曜に掲載している「歩く」「考える」。地域の先行きや私たちの生き方について読者と一緒に考えていく評論記事である。論説委員が現場感覚を重視しながら執筆している。本欄で取り上げたテーマを切り口に、この1年を振り返ってみた。(論説副主幹・古川竜彦)

 世界中が新型コロナウイルスにおののいた1年だった。本欄でも、政府が新型コロナ特措法に基づき緊急事態宣言を発令した4月以降、コロナ禍をテーマにした記事が増えた。

 未知のウイルスの感染拡大という「有事」で、世界各国の指導者や自治体トップの言動がこれまでになく注目された。政府の方針や対策が理解されないと国民は混乱し、逆に理解できれば安心感につながる。

 【リーダーの言葉】では、危機時に求められるリーダーの発信力を問うた。言葉の力で存在感を高めたのはドイツのメルケル首相だと指摘。移動の自由は重要な権利だが、命を救うため今は制限が必要―。隣国との往来を制限した3月、旧東ドイツで育った自らの経験を引き合いに率直に苦悩を語った。

 客観的なデータをもとに制限措置の導入や緩和を判断し、その根拠も伝える姿勢が評価された。それが国民の共感を呼んだのだろう。

 同じ頃、日本のリーダーと言えば、求められてもいない布マスクの全世帯配布や自宅でくつろぐ動画を公開するなど、国民と危機感のレベルを共有できていたとは言い難い。緊急事態を宣言した際の会見でもプロンプターに浮かぶ原稿を読み上げていた。言葉が国民に響いたのか、疑問を投げ掛けた。

 バトンを継いだ菅義偉首相も、国会でもぶら下がり取材でも原稿を棒読みする姿が目立つ。そこに「自分の言葉」があるとは思えない。

 そんな政治状況を、誰もが批判できるのが民主社会である。ところが芸能人らの政治的発言を巡り、議論が沸き起こった。【「有事」の政治発言】は、戦時中の空気を顧みながら、コロナ禍という有事であっても、政治に沈黙せず、ものを言うことの大切さを訴えた。

 日本は今、感染拡大の第3波に見舞われている。第1波と第2波の教訓はどこに生かされているのか。一連の「Go To」キャンペーンにこだわる一方で、「皆さんに静かなマスク会食をお願いしたい」と言われても何も伝わってこない。

 【コロナ禍と偏見】は、コロナ禍で浮き彫りになった社会のゆがみに焦点を当てた。知らないものに対する恐怖や不安が、他者への差別や偏見を生み、社会に亀裂や分断をもたらしているのではないかと。

 社会の分断に歯止めをかけるにはやはりリーダーが発信するメッセージが重要になる。ところが、新首相に就いた菅氏が繰り返し口にするのは「自助、共助、公助」である。これでは経済的に恵まれない人を「自己責任論」で切り捨てる風潮が強まりかねない。そんな懸念を【「まず自分で」の違和感】で指摘した。

 コロナ禍は、自由や人権といった普遍的な価値観さえ揺さぶっているようだ。【コロナ危機と個人情報】は、危機対応を突破口に、政府によるビッグデータ利用やプライバシー侵害が進むリスクについて考えた。

 感染リスクを避けるため、自粛が要請された春以降は家族がそろって自宅にいる時間が増えている。家にいれば、その分炊事や掃除、家族の世話も増え、現状ではその大半を担う女性の負担感が増す。【ステイホーム】は、そうした対価のない「シャドーワーク」と呼ばれる家事などの労働に目配りするよう訴えた。

 もしコロナ禍が起きなければ、夏には東京五輪・パラリンピックが開催され、華々しいオリンピックイヤーとなっていただろう。

 56年前の前回東京大会の「オリンピック・マーチ」を作曲した古関裕而が再び脚光を浴びた。自伝をはじめ歩みや業績を扱った書籍の出版が相次ぎ、NHKは古関を主人公のモデルとするドラマを制作した。

 「長崎の鐘」「栄冠は君に輝く」などで知られる古関だが、戦時中は軍歌を数多く作った。戦後、再び作曲家として歩みだすきっかけとなったのは、被爆翌年の1946年に中国新聞から依頼された曲だった。すっかり忘れられているが、被爆者を励まし、復興を願う歌「歌謡ひろしま」である。古関と広島は、深いつながりを持っていたのである。

 本欄では年初から11月までに【古関裕而を探して㊤㊦】【「歌謡ひろしま」】【描かれなかった古関】の4本の記事を展開。昭和史をたどりながら古関の作曲家人生で、「歌謡ひろしま」が持つ意味を考え、古関メロディーの魅力を改めて探った。

 そして、今年は「被爆・戦後75年」という節目の年でもあった。

 【シベリア特措法10年】と【戦後75年と戦争孤児】は、歳月を経てなお全容が解明されていないシベリア抑留者と、戦争孤児を巡る現状と課題を明らかにし、「声なき声」を歴史に刻む重要性を訴えた。【西村京太郎さんの試み】は、近年戦争をテーマに執筆を続ける人気作家の姿勢から、歳月を経て次世代がいかに戦争体験の記憶を継承するか探った。

 【偽りの平和】は、恐怖の均衡で平和が保たれていると考えるのは幻想でしかないと指摘した。真の平和とは非武装以外の平和以外にあり得ません―。昨年秋に広島、長崎の両被爆地を訪れたローマ教皇フランシスコの言葉を引き、核兵器禁止条約の来年1月の発効を、核抑止論の幻想から目覚めるきっかけにしなければならないとした。

 コロナ禍の収束はまだ見通せないが、【新たな日常】では、今ここにある問題から目を背けず、片を付けることが大切であると訴えた。身近な暮らしを確実に変えていく。一人一人の積み上げの先にしか、持続可能な「新たな日常」やコロナ後の社会は見えてこない。

「考える」「歩く」のテーマ

<1月>古関裕而を探して㊤戦没者へのレクイエム㊦スポーツ・地域の応援歌▽災害の世紀▽幻の「広島五輪」▽AIひばりさんと寅さん
<2月>災害と民間歴史資料▽生き抜く哲学▽脱「負動産」
<3月>海民たちのハワイ▽原発のしまい方▽2人の「怪物」
<4月>リーダーの言葉▽コロナ禍と子ども▽「老後2000万円」から1年▽コロナ危機と個人情報
<5月>ステイホーム▽コロナ禍と偏見▽訳せない言葉
<6月>コロナと一律給付▽「有事」の政治発言▽疫病とアマビエ▽コロナとスポーツ観戦
<7月>シベリア特措法10年▽脱・お任せ民主主義▽新たな日常▽有馬実成と仏教NGO
<8月>「歌謡ひろしま」▽西村京太郎さんの試み▽海軍中尉小島清文の闘い
<9月>偽りの平和▽生物多様性とは何か▽「悪いのはコロナ」
<10月>戦後75年と戦争孤児▽学術会議「見直し」論▽「まず自分で」の違和感
<11月>産廃処分場数 広島3位▽歴史のはざまの「鞆幕府」▽原爆被害の全体像▽描かれなかった古関

(2020年12月17日朝刊掲載)

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