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被爆水管橋一部を展示 軍都の記憶 刻印に残す

■記者 藤村潤平

 明治期から110年にわたり広島市中心部に水を送り、2年前に老朽化で解体された「猿猴橋水管橋」の一部が、東区牛田新町の牛田浄水場内にある水道資料館中庭に設置された。広島の軍都の歴史を映し、被爆に耐えた建造物のモニュメントとして活用される。

 水道管(内径45センチ、長さ3.74メートル)には軍用水道を示す軍刀のマークや「MEIJI30」の刻印が残る。展示に向けフッ素樹脂で保護した。石張りモルタル造りの橋脚は一部を切り出し、原寸の約3分の2の幅約1.8メートルに作り直した。解体前の写真や歴史を日本語と英語で記したステンレス製の説明板も設置した。

 JR広島駅南側の猿猴川を横断する猿猴橋水管橋は1897年に完成した。爆心地からの距離は約1.8キロ。原爆で一帯が焼け野原となり、翌月の枕崎台風で市内の大半の橋が流される中、奇跡的に残った。戦後も市民の生活を支え続けた。

 市水道局の竹添伸夫広報広聴係長は「珍しい刻印がある水道管だけ残す計画だったが、橋脚が被爆建造物と分かり、一体として残すことに意義があると考えた。感謝も込め、後世に伝えたい」と説明している。

(2009年4月30日朝刊掲載)

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