明治期から現代 大久野島の歴史 竹原の市民団体代表 山内さん出版
20年12月24日
芸予要塞や毒ガス工場記述
竹原市の市民団体「大久野島から平和と環境を考える会」代表の山内正之さん(76)=同市東野町=が、大久野島(同市忠海町)の歴史を伝える本を自費出版した。旧日本陸軍による毒ガス製造の実態など、芸予要塞(ようさい)が設置された明治期から現代までをたどっている。(山田祐)
山内さんは高校教諭だった20年以上前から、毒ガス工場で従事し健康被害を受けた人たちに付き添い、証言活動を支える活動を続けている。被害者の高齢化を受けて近年は、聞き取った証言や文献で学んだ内容を自ら伝える活動に励む。
本はA5判127ページ。明治期に旧陸軍が一帯の防御のために大久野島などに芸予要塞を設置すると決め、砲台などを整備した史実から説き起こしている。
第1次世界大戦(1914~18年)で化学兵器が本格使用されたのを受け、軍は大久野島に毒ガス工場を建設すると決めたが、当時の新聞記事には「危険な毒ガスを製造するとは全く書かれていなかった」などと紹介。29年から44年までイペリットやルイサイトなどの毒ガスを製造し、学徒も動員されたことを記す。
島は戦後、連合軍に接収され、朝鮮戦争(50~53年)で米軍が弾薬庫として利用。57年に日本に返還された後、国民休暇村が整備されて観光地となった経緯なども記述した。
「毒ガス工場に関連する本は多く出版されているが、芸予要塞時代から現代までの通史はあまりない」と感じていた山内さんが、活動の集大成としてまとめた。「近年はウサギの島のイメージが定着しているが、平和学習にふさわしい場所であることを伝えたい」と語る。
500部印刷し、希望者に1冊900円で分けている。山内さん☎0846(29)1206。
(2020年12月24日朝刊掲載)