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山口仙二さんが死去 被団協元代表委員「ノーモアヒバクシャ」 82歳

 反核平和運動の中心的存在だった日本被団協顧問で元代表委員の山口仙二(やまぐち・せんじ)氏が6日午前9時36分、肺炎のため入院していた長崎県雲仙市の公立新小浜病院で死去した。82歳だった。長崎県出身。自宅は雲仙市小浜町北本町1056の3、ケアハウス桜花苑。葬儀・告別式は8日午後1時から雲仙市小浜町北本町905の58、来迎舎小浜斎場で。喪主は妻幸子(さちこ)さん。

 被団協の代表委員を2010年まで29年間務めたほか、長崎原爆被災者協議会会長も務めた。

 14歳の時、学徒動員先の長崎市の兵器工場で被爆。爆心地から約1・1㌔で、瀕死の重傷を負った。広島で第1回原水爆禁止世界大会が開催された1955年に「長崎原爆青年会」を結成。翌年に「長崎原爆青年乙女の会」と名称が変わり、初代会長を務めた。

 82年に米ニューヨークで開かれた第2回国連軍縮特別総会で被爆者代表として初めて演説し、「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアウォー、ノーモアヒバクシャ」と訴えた。

悲惨さを世界に

日本被団協の田中煕巳(てるみ)事務局長(81)の話

 まさに「小さな巨人」だった。小柄ながら、若い時分から大物の風格があった。印象深いのは、やはり第2回国連軍縮特別総会での「ノーモアヒバクシャ」の演説。原爆の悲惨さを世界に訴え、被爆者運動に大きな役割を果たした。

核廃絶へ懸ける

日本被団協の坪井直代表委員(88)の話

 代表委員を共に務めた仲だった。彼もまた、核兵器廃絶に人生を懸け、国内外を駆け回った。強い意志を持つ一方、純朴な人柄も愛された。誰もが「仙ちゃん」の愛称で呼んだ。惜しい人を亡くした。

(2013年7月7日朝刊掲載)

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