×

連載・特集

[考 fromヒロシマ] 核禁止条約 多様な論点

 22日に発効した核兵器禁止条約は、1条で核兵器の開発、保有や譲り渡しなどを全面的に禁止する。それだけでなく前文や全20条の中には、条約交渉に関わった国々や非政府組織(NGO)の多様な主張や問題意識が盛り込まれている。数ある中から「核実験の被害者援助と環境回復」「ジェンダー(社会的につくられた性差)と核兵器問題」を取り上げる。(金崎由美、新山京子)

6条 核実験の被害者援助

影響多大 先住民の訴え届く

 「核兵器が世代をまたいで人々、特に先住民に被害を与えていることを認め、被害者のニーズに対応した条約を求める」

 米ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約の交渉会議が始まった2017年3月下旬、オーストラリアの先住民アボリジニのスー・ハセルダインさん(69)が議場で外交官たちに語り掛けた。カナダ在住の被爆者サーロー節子さん(89)と席を並べる姿は、被爆者とともに核実験被害者が条約の象徴であることを物語る。

 ハセルダインさんは、オーストラリアで創設された核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))と共に歩んできた。条約採択を経た同年12月、受賞団体ICANの一員として、ノーベル平和賞授賞式にも出席した。

 条約の前文は「被爆者、並びに核兵器実験の影響を受けた人々の受け入れがたい苦痛に留意」すると明記。さらに、核兵器関連の活動が先住民に特に大きな影響を与えているとした。6条は、条約加盟国が自国の被害者に医療や心理面など多方面の支援をし、環境汚染の措置もすると規定。7条で、他の加盟国の協力義務を定めた。条約交渉では、米国、英国やフランスが核実験をした太平洋の島国の発言が目立った。

■ ■ ■

 英連邦のオーストラリアでは1952~63年、英国が核実験を繰り返した。ハセルダインさんが生まれた先住民居住区の北にマラリンガ、近接してエミューの両核実験場が置かれた。時に放射性降下物を含む「黒い霧」が押し寄せたという。先住民の状況に詳しい京都精華大の細川弘明教授によると、マラリンガでは爆発を伴わない核実験も500回近くあり、実験場の土壌が汚染された。

 自身は甲状腺がんを患い、周囲にがんが多いと訴えるハセルダインさんは中国新聞社の電話取材に「先住民に選挙権もなかった時代。2歳の時に核実験が始まったが、私たちは実態を知らされなかった」と振り返った。世界の核実験場の多くは、先住民の土地に一方的につくられた。差別や人権侵害と、核兵器開発は密接につながってきた。

■ ■ ■

 「ついに私たちの訴えが通じた。条約発効は、きのこ雲の下の被害者を再び出さない、という国際社会の決意だ」とハセルダインさん。だが、米国と同盟関係にあるオーストラリアは条約参加を拒む。「核の傘」を求める日本も同様だ。

 その日本政府に対し、せめて1年以内にある第1回締約国会議にオブザーバー参加するよう求める声が被爆地で高まっている。日本の被爆者援護の経験が6、7条の具体化へ貢献できる、との指摘もある。

 国際法は国内法と違い、制定後に関係国間で取り決めを重ねていく。「条約を大きく育てるには、締約国会議の場は非常に重要。この分野がどれだけ優先的に扱われるかが問われる」。明治大の山田寿則兼任講師(国際法)は強調する。

 核兵器禁止条約は「禁止に加え、人権条約としての側面が両輪」と山田さんは指摘。「後ろ向きな政府を待つことはない。NGOも締約国会議に招請されれば発言し、両輪において影響を与えることができる」

日本にできること いくつもある

明星大の竹峰教授 救済制度の情報集め必要

 被害者援助、環境回復とそのための国際協力―。日本の研究者の間で模索が始まっている。旧ソ連の核実験場だったカザフスタン、フランス、米国などの被害補償制度を比較する研究会が昨年12月、オンラインであった。明星大(東京・日野市)の竹峰誠一郎教授は「日本にできることはいくつもある」と強調する。

    ◇

 核兵器の問題は政治を握る側によって語られてきた。本当は全世界の問題だ、と条約が明確に位置付けたのは画期的だった。ただ、被害者援助を定めた6条などは、クラスター弾の条約を下敷きにしている。放射線被害とを同列に論じるには無理がある。締約国会議で具体的な議論をしなければならない。

 そこで日本が貢献するなら、やるべきことは多い。被爆者援護法には、条文全体の公式の英訳がいまだない。伝えるべきは法制度にとどまらない。被爆者の心と体を支えた地域社会の変遷、体験を語る場の提供、実態調査のあり方…。1976年に広島、長崎の両市は、原爆被害に関して国連事務総長に要請書を提出した。あの時のように「締約国会議に示す材料を得るため、被爆地の歩みをあらためて掘り起こそう」と盛り上がっていい。

 条約の実効性を高めるには、各国の救済制度の情報を集め、被爆者援護法などと比べることが必要になるだろう。私たちの研究も貢献につながると思っている。

 被害の当事者にとって制度の至らない部分はある。日本の被爆者援護は、日本被団協が求める「戦争被害への償い」ではなく社会保障的な位置付けだ。米国が核実験を行った中部太平洋マーシャル諸島では、米国が拠出した基金が目減りしている。それでも、まずはあらゆる情報をつなぐこと。被害者の横のつながりを生むと期待している。

    ◇

 環境と公害(岩波書店)2020年10月号に「核汚染被害をめぐる国際制度比較」を特集している。

2000回以上 世界の核実験

 人類史上初の核実験は1945年7月16日、米ニューメキシコ州トリニティ・サイトで行われた。米軍は3週間後に広島、その3日後に長崎の上空で原爆を投下した。

 戦後、米ソ冷戦と核開発競争の中で核実験が繰り返された。54年に静岡のマグロ漁船第五福竜丸などが、マーシャル諸島ビキニ環礁で米国の水爆実験の「死の灰」を浴びた。世界の核実験は2千回以上。周辺住民の健康被害や、環境汚染をもたらした。

 63年の部分的核実験禁止条約を機に、実験のほとんどが、大気圏や海から地下に移行。96年に包括的核実験禁止条約(CTBT)が採択されたものの、核兵器保有9カ国のうち米国や中国は批准せず、インドなどは署名を拒んでおり発効は遠い。一方、核兵器禁止条約は核実験も禁止している。領域内での核爆発を禁止する「南太平洋非核地帯(ラロトンガ)条約」といった前例もある。

<爆発を伴う核実験の回数(推定)>

米国   1032
旧ソ連   715
英国     45
フランス  210
中国     45
インド     3
パキスタン   2
北朝鮮     6
イスラエル   ?
計    2058

長崎大・中村桂子准教授に聞く

前文 男性に偏らず 双方参加

誰もが当事者 対等に議論を

 交渉会議の議長や各国の外交官、非政府組織(NGO)のメンバー…。核兵器禁止条約の実現に、女性が大きな役割を果たした。そして条約は前文で、女性と男性双方の参加が「平和と安全の促進・達成の重要な要素」だとし、核軍縮分野での女性参加の重要性を強調する。長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の中村桂子准教授に意義を聞いた。

 ―前文には、ジェンダーとしての問題意識が反映されていますね。

 核軍縮の交渉や制定プロセスに女性が対等に参加できていないことへの危機意識だ。これには、条約交渉の前からの経過がある。

 ―何でしょうか。

 一つのきっかけは21年前の国連安全保障理事会決議だ。紛争時は女性が戦時性暴力などの被害者になるが、紛争解決や安全保障の意思決定役は圧倒的に男性。決議は、男女が対等に当事者となり発言できるべきだと強調した。

 核抑止の議論も同様で、大量破壊兵器に脅かされる市民や核実験の被害者こそ「当事者」。そう国際社会で自覚されていった。

 ―そんな中で、交渉会議があったのですね。

 17~19年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議も含めて、核兵器問題をジェンダーの問題として主張した筆頭が、交渉会議を主導したアイルランドだ。放射線被害の問題に取り組む市民団体と連携し、積極的に発信した。同じ観点からアイルランドは、核兵器がもたらす被害の特殊性にも着目した。前文に、放射線の「母体と少女への影響」を指摘する文言が入った。

 議場で傍聴したが、女性の活躍は本当に印象的だった。しかしこの条約は、単なる男女の数合わせを求めているのではない。「女性は平和を愛するから」「生活実感があるから」という観点でもない。現に、条約実現に貢献したICANのメンバーは、若者やLGBTなど多様な人たちだ。

 前文が言うのは、議論の当事者の多様性が、まっとうな議論とよりよい判断を可能にする、という認識。そして、格差なき意思決定への参加、という権利意識だ。

 ―日本ではなじみの薄い感覚かもしれません。

 被爆者が力を振り絞って体験を語ってくれることに、私たちの世代は頼ってきた。若者がバトンを引き継いで「当事者」となり、世界と連帯していく将来に向けて重要な視点だろう。

なかむら・けいこ
 1972年神奈川県生まれ。米モントレー国際大大学院修了。NPO法人ピースデポ事務局長を経て長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授。

(2021年1月25日朝刊掲載)

年別アーカイブ