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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説主幹 宮崎智三 プランBなき被爆国

現実に合わせ 核政策改めよ

 東京五輪の今夏開催に向け、心強く思った選手も多いに違いない。

 「プランB(代替案)はない」。国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長がそう述べて、中止や再延期の可能性を真っ向から否定した。開幕まで半年の先週、共同通信のインタビューでのやりとりだ。

 中止になって巨額の放映権料が入らなければ、収入がガタ減りしかねない。たとえ無観客であっても開催したいのだろう。万一中止するにしてもIOCからではなく、日本側から提案してほしい―。それが本音だと推測するのは飛躍しすぎか。

 日本政府も今のところIOCと同様、開催方針を崩してはいない。問題は、それで済むのかどうかだ。

 新型コロナウイルスの感染が落ち着かない限り、開催は極めて困難だと多くの国民が考えている。無理やり開催しても幅広い理解は得られない。感染の現状を見据え、プランBやCをはじめ、あらゆる可能性を想定して対応策を練る―。もちろん開催できない場合も含めて、である。

 ところが、都合の悪いことは見ないようにしたり一度決めた方針に固執したりする悪弊が政府にあるようだ。例えば沖縄県名護市辺野古で進めている米軍基地新設。「ノー」という民意は何度も示された。埋め立て海域で軟弱地盤が見つかり、工事費が膨らみそうだ。それでも、プランBを考えようとはしていない。

 似たような例は幾つもあろう。被爆地として許しがたいのは、核兵器禁止条約に対する姿勢である。  条約づくりを目指す会議が2017年春、本格的に始まったが、日本政府は参加しなかった。空席となった日本の机には「wish you were here(あなたがここにいてくれたら)」と翼に書かれた大きな折り鶴が置かれていた。

 核廃絶への道を開く条約の制定を目指す会議に、被爆国政府が参加していないのだから「いてくれたら」と思う人がいるのは当然だろう。

 その後も、役割を果たすべき場があるのに日本政府は「空席」のまま。条約が採択されても、賛同した国々の署名が始まっても、昨年秋に90日後の発効が決まっても、態度を変えることはなかった。

 段階的な核軍縮が現実的だと今も繰り返す。しかし禁止条約に代わるプランBを示したり、それに沿って米国をはじめ核保有国を説得したりしたことがあっただろうか。

 先週ついに、条約が発効した。加えて米国の政権が代わり、国際協調を重視する外交路線に戻った。ロシアとの核軍縮交渉も早速、進展させた。日本政府は現実に合わせて、核政策を改めるチャンスである。

 しかし、その兆しは見えてこない。現実を見ずにいつまで「思考停止」を続けるつもりなのだろう。禁止条約と目指すゴールは同じ、核兵器廃絶だというのなら、今こそ席に着くべきである。

 日本周辺には、ロシアや中国、北朝鮮と核兵器を持つ国が多い。そうした国々に対する不信感や警戒感があることは理解できる。しかし武器の強力さや数などを競い合っていては、果てしない軍拡競争の泥沼に陥るだけだ。いつまでたっても地域の安全は確保できまい。道は険しくても、核兵器をなくす方向へ進んだ方がずっと世界は安全になるだろう。

 互いに信頼できるよう努力しながら、まずは核兵器を減らすよう全ての保有国に呼び掛けていく。禁止条約は、その道具になる。そのためにも、日本は条約の締約国会議にオブザーバー参加すべきだ。バイデン米政権なら強く反対することはなかろう。政府の言う締約国と保有国との「橋渡し役」にもなるはずだ。

 条約の第6条では、核兵器使用や実験による被害者への医療・心理、社会的、経済的支援なども義務付けられている。広島・長崎に蓄積された医科学的な知見やノウハウを生かすチャンスでもある。被爆国政府が条約に背を向けている間、その空席を埋めるのは、被爆地にしか果たせない役割ではないか。

(2021年1月28日朝刊掲載)

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