×

連載・特集

ヒバクシャ医療 貢献の30年 HICARE 研修 37ヵ国・地域に広がる

 被爆地広島の知見を「世界のヒバクシャ」の医療に役立ててもらおうと活動してきた放射線被曝(ひばく)者医療国際協力推進協議会(HICARE)が4月、設立から30年となる。自治体と医療・研究機関などが連携し、各国の医師たちを地道に研修に招待。海外に住む被爆者、核実験や原発事故の被害者たちの医療の向上に貢献してきた。現状と課題をみる。(水川恭輔)

 「研修で学んだ知識を診療に生かせているのがとてもうれしいです」。ブラジルの内科医師、身吉リディア・ミネさん(61)は、サンパウロ市内のサンタクルス病院で現地の被爆者を診療している。2012年に広島市内で1カ月のHICARE研修を受け、放射線の健康被害などを学んだ。

 ブラジルの被爆者健康手帳所持者数は、韓国、米国に次ぐ87人(昨年3月末時点)。HICAREはこれまでに67人の現地の医師たちを研修に受け入れた。07年には医師を派遣し、被爆者医療研修会も開いた。

 活動の末、19年4月から同病院などサンパウロ市内3病院は日本と同様に被爆者が医療費を立て替え払いしなくて済むようになった。一般的に在外被爆者は窓口で医療費を負担した後、本人が日本に申請手続きをして払い戻しを受けているが、3病院は被爆者に代わって申請を始めた。

 一時的な立て替え払いでも、生活が苦しい人は治療をためらいかねない。申請手続きも煩雑で、大きな負担になっていた。3病院は、事務が増えるものの、被爆者の実情を踏まえて快く引き受けたという。

 昨年3月まで広島県被爆者支援課長を務め、現地と調整した八幡毅さん(60)は「これらの医療機関は、医師の多くが研修に参加しており、被爆者への理解があったからこそ実現した」と話す。サンタクルス病院で診察を受けたサンパウロ市在住の被爆者、渡辺淳子さん(78)は「病院に行けば、あとは何も心配しなくていい」と安心感をかみしめる。

 HICAREの設立は、1986年の旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発事故や、87年にブラジルで起こった深刻な医療用放射線事故がきっかけだ。その都度、個々に支援する体制では費用や要員の確保に課題が多い、との反省が背景にあった。研修受け入れを通じて、各国で医療面から在外被爆者援護を担う人材の育成も年々強化してきた。

 旧ソ連の核実験場があったカザフスタン、チェルノブイリ原発に近接するベラルーシ…。研修を受けたのは2019年度までで37カ国・地域の768人に達した。14年には、国際原子力機関(IAEA)と連携して人材育成を行う「協働センター」に指定され、東南アジアや中東の国々からの参加も増えている。

 IAEAとの協働事業では、モンゴルで初めて同国国立がんセンターに設置された高精度放射線装置の技術指導に携わるなど、支援の幅も広がっている。しかし20年度は新型コロナが活動に直撃。研修受け入れの中止を余儀なくされた。

 今後も感染状況を見極めながらになる。HICAREの福原美百合総括書記は「専門的知識の習得だけではなく、広島で被爆者に会い、被爆の実態に触れることが参加者の印象に強く残る。再開できる状況になってほしい」と収束を願う。

 <研修内容(3週間)の例>原爆資料館、原爆ドーム見学▽被爆体験講話▽被爆者援護施策▽放射線事故の医療対応▽放射線被曝の疫学研究▽原爆養護ホーム見学▽生物学的線量評価▽被爆者健康診断と診断結果の分析▽被爆直後からの被爆者医療への貢献―など

活動重なる核禁止条約 被害者援助の後押しに

 1月、HICAREの活動が各国から一層の注目を集める契機となりそうな世界の動きがあった。核使用・核実験の被害者への援助や、その国際協力を定める核兵器禁止条約の発効だ。

 条約は援助の内容を「医療」に加え、「リハビリテーションおよび心理的な支援を含む」と明記。高齢化する被爆者への心身のケアを学んでもらおうと、原爆養護ホームでの介護の見学や被爆証言の聴講も研修に取り入れてきたHICAREの課題意識と重なる。

 「広島・長崎には、実際の援助の現場がある。そこで援助について学ぶ専門家会合を開き、締約国会議に報告すれば、各国が条約を履行する上で非常に参考になるはずだ」。非政府組織(NGO)「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))の川崎哲(あきら)国際運営委員(52)は指摘する。

 長崎でも長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)が被曝医療研修を続けている。川崎さんは、日本政府がこのような市民社会の活動の蓄積を生かして条約の被害者援助の実施に貢献するよう求めている。

高校で講座/資料保存 連携へ 次世代継承を模索

 HICAREは近年、次世代への継承を課題の一つと捉えている。3年前、放射線に関する研究への若者の関心を高めようと県内の高校での出前講座を開始。広島大生をIAEAに派遣し、最先端の研究に触れてもらう事業も行っている。

 研究を未来へつなぐには資料の保存も不可欠だ。しかし、経年劣化が進んでいる。構成機関の放射線影響研究所(広島市南区)と、広島大原爆放射線医科学研究所(同)は昨年、歴史資料の保存を連携して進めることに合意。横断的に公開するデジタル・アーカイブズ構築も計画している。

 同じく構成機関の広島原爆障害対策協議会(中区)などにも被爆者のカルテなどが残る。HICARE設立の狙いは、国際貢献とともに研究成果や資料をそれぞれに集積している医療・研究機関の連携強化にあった。県市を含む「オール広島」で資料の保存と活用に知恵を絞ることが重要だ。

アジアの人材育成課題 HICAREの神谷研二会長

 HICARE会長の神谷研二・広島大副学長(復興支援・被ばく医療担当)に成果や課題を聞いた。

 ―設立から30年の活動をどう評価しますか。
 被爆者の方々の協力で広島に蓄積されてきた知識を世界のヒバクシャの医療向上に役立てるため活動してきた。柱の一つは、世界各地の放射線被害のある地域への医療支援だ。チェルノブイリ原発事故の医療支援に関わる医師は、広島で研修に参加したことで帰国後の健康調査や治療に役立ったという。福島第一原発事故の際には専門家を派遣して、健康相談を行った。

 もう一つの柱は在外被爆者の支援だ。研修を通じて現地の医師と広島との信頼関係が築かれてきた。また、1992年に出版した解説書「原爆放射線の人体影響」は広く読まれ、この分野のバイブルのようになった。英語版に加え、ロシア語版もよく活用されている。

 ―課題は何ですか。
 中国をはじめアジアの人材育成が緊急の課題だ。経済発展に伴って、医療、産業、農業などで放射線の利用が増えている。あらゆるレベルで放射線事故が起きる可能性があるが、放射線の影響や防護に関する専門家は極端に少ない。世界にネットワークがあるIAEAと連携し、これまでつながりがなかった国からも研修の参加者を招きたい。

 次世代の育成も課題だ。被爆から75年以上が過ぎ、放射線に関する研究への関心が薄れてきているのではないかと危惧している。そこで高校での講座を始めると、非常に熱心に話を聞いてくれた。被曝医療で世界に貢献しようと志す若者が出ることを願っている。

 ―核兵器禁止条約の「被害者援助」に日本の貢献を期待する声があります。
 核兵器廃絶を望まないHICARE構成機関は一つもない。各機関の特徴を生かして平和構築活動をするのは当然で、お役に立てれば非常に光栄だと思う。

オンラインで国際シンポ 11日

 HICAREは11日午後1時から、設立30年の国際シンポジウムをオンラインで開く。活動に携わってきた広島の研究者たちが歩みを紹介し、IAEAの担当者の講演もある。無料。HICAREホームページの登録フォームや電話で申し込む。10日正午まで。☎082(228)0131。

 HICARE(ハイケア)
 1991年4月に設立。広島県医師会など県内10機関で構成し、県被爆者支援課に事務局を置く。各国の医師や研究者への研修や、技術指導などの派遣が主な事業。事業費は広島県と広島市が折半しており、本年度当初予算は計約3700万円。

(2021年2月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ