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社説・コラム

『今を読む』 京都大准教授 直野章子(なおの・あきこ) 核兵器禁止条約と日本政府

「受忍」の結末 想像してみよ

 核兵器禁止条約が先月発効した。52の批准国の中には、キリバスやフィジーなど米英仏の核実験で被害を受けた太平洋諸国も含まれている。しかし「唯一の戦争被爆国」を自認する日本は、条約に否定的な姿勢を変えていない。

 菅義偉首相は「署名する考えはない」と明言し、外務省は抑止力の強化で北東アジアの「現実の脅威」に対処する必要があると表明した。米国の核抑止力は日本の安全保障に不可欠であり、禁止条約に参加することはできないというのだ。だが、北東アジアの政治情勢だけが、条約に背を向ける理由なのだろうか。

 日本政府は核兵器に依存する安全保障策を固持していて、米のオバマ政権が核先制不使用宣言を模索した際、強く反対した。一方で同じ政権下で始動した核近代化政策やトランプ政権下で打ち出された小型核兵器開発に対しては、抑止力保持を理由に支持を崩すことがなかった。

 核抑止とは、核兵器という絶対的な武力を盾に、不信を抱く相手国を「いざとなれば使うぞ」と威嚇し「平和を保つ」政策である。自国の存亡にかかわるなど極限的事態においては、核兵器を使ってもよいということである。

 日本政府は米の核抑止力を安全保障策の要と位置付けているから、非常事態が起きれば核兵器使用もやむを得ない―という立場をとっていることになる。つまり、核兵器が非人道的な結末をもたらすと認めながらも、安全保障上の必要悪として核兵器使用の可能性を容認している。

 日本政府が核兵器使用を容認しているという解釈は、政府の原爆被害の捉え方を顧みれば、突拍子もないことではない。原爆投下直後、日本政府は国際法違反の残虐行為として糾弾し、敗戦後から占領開始のわずかな期間でも、原爆被害の非人道性を国際的に喧伝(けんでん)した。ところが1952年に米の同盟国として国際社会に復帰して以後は、原爆投下を人道に反する行為とみなして被害者の正義回復に努めることはなかった。それどころか「耐え忍ぶべき犠牲」として、被爆者には「受忍(我慢)」を強いてきたのだ。

 世論に押される形で、政府は被爆者援護策を講じてきたが、それは放射線による健康被害に対する援護であり、被爆者の健康保持と福祉の増進にすぎない。戦争という「国の存亡をかけた非常事態」において生じた被害は、原爆被害といえども「受忍しなければならない」という姿勢を崩したことはないからだ。

 日本政府の受忍政策とは対照的に、禁止条約は被爆者や核実験被害者の「受け入れがたい苦痛」を明記している。核兵器の非人道性を認識するからこそ、いかなる条件の下においても核兵器の使用を否定し、核兵器が再び使われないためには廃絶しかないという立場を取るのである。つまり被爆者が自らの体験から練り上げた「核兵器絶対否定の思想」を共有している。

 政府の核抑止力依存と受忍政策を転換させることは、被爆者の悲願であるだけでなく、私たちの生存する権利にかかわることである。日本政府は受忍策を維持したまま、極限的事態下の核兵器使用を容認している。いざとなれば核を使うことはやむを得ず、その時に生じた被害は耐え忍ぶしかないといっているに等しい。核被害は長期にわたって生命を脅かし続け、耐え忍ぶことなどできないということさえも「被爆国」の常識になっていないのだろう。

 被爆者の核兵器廃絶の訴えは理想論とやゆされてきた。だが原爆がもたらした厳しい現実を知るからこそ、他の誰も被爆者にしてはならぬという揺るぎない信念を獲得するに至ったのである。「現実」を言い立てて禁止条約に背を向ける日本政府は、まず原爆被害の現実を見つめ直すべきではないか。国家の存亡にかかわる非常事態では核兵器使用もやむなしとする核抑止策に固執し続けた場合、どのような結末が待っているか、想像力を働かせてほしい。

 核兵器が地上に現れて以来、今が人類滅亡に最も近いという警告を念頭に置いて、破滅ではなく生存への道を人類は選択すべき時だ。

 72年生まれ。兵庫県西宮市出身。専門は社会学。米カリフォルニア大で博士号。九州大、広島市立大を経て20年から京都大人文科学研究所准教授。著書に「原爆体験と戦後日本」「被ばくと補償」など。

(2021年2月13日朝刊掲載)

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