×

社説・コラム

『潮流』 前文が説く「多様性」

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 大学時代に1年間、米国へ留学した。女子寮は2人部屋。くじ引きで決まったルームメートから「私は女性を好きになる人。嫌なら部屋を移るよ」と明かされた。衝撃を受けつつも共に暮らすと決め、性的少数者(LGBT)の差別反対集会があれば一緒に出席した。1992年のことだ。

 帰国後、アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)とクオータ(人数割当)制をテーマにゼミ論文を書いた。誰もが性別や性的指向、人種や民族を理由に排除されず意思決定に加わる社会制度とは―。未熟な思考を巡らせた。しかし卒業後は(男)社会の荒波の中で踏ん張るのに精いっぱいだった気がする。

 10年余り前、核大国の米国を初めて取材した。核抑止政策を重んじる会議は男性多数。被害を告発する会議では女性が中心だ。雰囲気が全く違う。以来、講演などの機会に時折、二つの会議の写真を提示する。「日本も同じ。容易には変わるまい」と思いながら。

 でも諦めてはいけない。先日発効した核兵器禁止条約の前文に改めて気付かされた。核軍縮におけるジェンダー平等を強調。それが「平和と安全の促進・達成の重要な要素」だとする。議論の当事者と発言の多様性こそより良い、人道的な結論を導く―。条約主導国の確信が行間ににじむ。

 日本オリンピック委員会の会合で森喜朗元首相が「女性がたくさん入る理事会は時間がかかる」と発言した。女性蔑視で、多様な議論を嫌う発想だろう。さらに菅義偉首相ら与野党の政治家は、その発言が「国益を損ねる」などとした。個人の人権や平等な参加の権利に関わる問題を、権力者から見た国家の利益として測ってほしくない。

 翻って新聞社の現状は―。足元を見つめる。変わり始めてはいるが、まだまだ。変えようとする私たち皆の行動にかかっている。

(2021年2月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ