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社説・コラム

『記者縦横』 被爆の記憶 直接聞いて

■防長本社 山下美波

 昨春、祖母が亡くなった。葬儀後に母が「結局、被爆者健康手帳を取らないままだったね」とつぶやき、初めて祖母が被爆していたことを知った。原爆投下の数日後、親戚を捜しに広島市中心部に向かったという。祖母は当時12歳。差別を恐れたのか、広島で何を見たのか―。聞きたいことは山ほどあるが、今は手を合わせることしかできない。

 先月、核兵器禁止条約の発効に合わせ山口総合面で「山口から世界へ」と題して山口県内の平和運動を紹介した。取材を通し、祖母のように証言を残さない被爆者が非常に多いと感じた。山口は広島、長崎の両被爆地に次いで手帳を持つ人の割合が高いが、近年は平和運動が活発とは言い難い。被爆地から遠いため周囲の理解を得づらく、被爆の体験を隠してきた背景がある。

 広島で入市被爆した山口県被団協の林三代子会長(80)もその一人。証言活動を始めたのは約5年前だ。義母に「黒い子が生まれる」と出産を反対されるなど偏見に苦しんできた。「当時4歳だったが、怖いという感情が消えず今も夜にうなされる」と林さんは語る。

 同じ被爆者でも、年代によって「あの日」の光景は大きく違う。当時幼かった人の中には、林さんのように被爆者の激減を受け証言を始めた人も多い。だが、弱い立場の子どもから見た記憶さえも直接話を聞ける時間は少ない。「核の傘」に依存し、核兵器禁止条約に後ろ向きな為政者には、その声に向き合ってほしい。

(2021年2月19日朝刊掲載)

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