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社説・コラム

『記者縦横』 幾多の「空白」を丹念に

■ヒロシマ平和メディアセンター 桑島美帆

 取材の合間に時々立ち寄る慰霊碑がある。平和記念公園を少し南へ下った本川河岸に立つ「広島県職員原爆犠牲者慰霊碑」。旧県庁跡地にたたずむ御影石に手を合わせた後、1100人以上の名前が刻まれた名録碑で「下岡孝子」さんを探し、そっと触れる。

 あの日以来、行方が分からない祖母の妹だ。遺骨も見つかっていない。当時17歳だった。爆心地から約900メートルにあった旧県庁は、門柱を残して壊滅し、1カ月後に職員が焼け跡で「リンゴ箱10杯」もの遺骨を拾い、7箱分を玄関跡付近に埋葬したという。

 「孝子さん」の存在を知ったのは、13年ほど前。原爆平和報道に携わったのを機に、2002年に他界した祖母の被爆体験と向き合う中で父や親戚が明かしてくれた。祖母自身から体験を聞いた記憶は無い。

 以来、手掛かりを求めて資料を集め始めた。古書店で購入した「広島県庁原爆被災誌」に、知事官房文書係だったことが記されていた。祖母が生涯大切にしていたアルバムには、セーラー服姿の孝子さんの写真が1枚だけ貼られていた。

 「あの日」から75年以上を経た今なお、原爆に奪われた肉親の面影を追う人は少なくない。わずかな情報でも、「生きた証し」だと感じるからだろう。懸命に調べ、足跡をたどろうとする遺族のそれぞれの姿が重なって見えてくる。取材の中で一人一人に寄り添い、史実を掘り起こしながら、ヒロシマに残る「空白」を埋めていこうと思う。

(2021年2月26日朝刊掲載)

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