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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説委員 森田裕美 原発事故から10年

反省と教訓の伝承 どこに

 道路の両側に広がる風景に息をのんだ。草木に埋もれた民家、商品が並んだままの店舗、やぶに変わってしまった田畑…。あの日で時が止まったまま朽ちていくようだ。道路脇には「帰還困難区域」と書かれた看板が立ち、バリケードが張られている。福島県の富岡町から双葉町に向け、国道6号を北上した際に見た風景である。

 東日本大震災と未曽有の原発事故から10年。昨年末、東京電力福島第1原発とその周辺地域を、共同通信加盟社の論説委員たちと歩いた。

 この10年、避難指示は徐々に解除され、被災したJR常磐線も昨年、全線開通した。地震と津波と原発事故という複合災害を体験した地域も歳月を経て復興が進んでいるように見える。一方、原発周辺には今なお住民が戻れない区域が広がり、廃炉や汚染土などの処理も見通せない。

 そんな現実は十分理解しているつもりでいた。しかしいざバリケードの向こう側の風景を目の当たりにすると、胸が締め付けられた。核被害の甚大さと、不在の住民を思った。

 町土の96%が帰還困難区域となっている福島県双葉町で、訪ねたい場所があった。原発事故の記録と記憶を後世に伝えるため、昨秋オープンした県の施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」である。

 「福島の経験と教訓の未来への継承」「災害の自分事化」をうたう施設を、核による惨禍を知る被爆地の人間として見ておきたかった。継承はヒロシマにとっても重要なテーマだからだ。

 海を望む平たくならされた土地に伝承館はぽつんと立っていた。大津波にも襲われたその土地は、自治体の計画を国が認める「特定復興再生拠点区域」となり、先行して避難指示が解除され、整備が進められた。

 地上3階建てのモダンな建物に入ると、最新技術を駆使した巨大スクリーンが待っていた。ガイダンス映像を見た後、らせんのスロープで2階に上がる。展示エリアには、映像や説明パネルが並び、震災と原発事故の発生から復興までの流れが時系列で解説されていた。津波で土台から流された郵便ポストや、大熊町のオフサイトセンターで避難状況を書いたホワイトボードといった現物資料も並び、10年前の複合災害について俯瞰(ふかん)的に見ることができる。

 後半は、内装を含めて妙に明るかった。ショールームのようなきれいな空間に、放射線量の変化や復興への歩みが、パネルや模型で紹介されていた。

 書いてあることはよく分かった。だが見ているうち何とも言いようのない違和感を覚えた。原発事故や地域の再建については理解できたのだが、展示からいったい何を「伝承」し、「自分事化」すべきなのかが読み取れなかった。外で目にした、深い爪痕とのギャップを強く感じたからかもしれない。

 伝承館の展示については、先に見た人たちから批判の声を聞いていた。その一つが、冒頭に展示された原子力をPRする看板の写真パネルだ。町などが実物展示を県に働き掛けてきたが、大きさなどを理由にかなえられなかった。

 事故前、双葉町内に掲げられていた「原子力明るい未来のエネルギー」と標語が書かれた看板は、原発との共生を目指し、安全神話が刷り込まれた地域の象徴であり、原発を誘致して事故に至った経緯の一つを示す教訓でもある。

 ほかにも、現物資料が少ない、災害関連死などの記述が足りない、反省的な考察に欠けるといった指摘にも、うなずける部分があった。

 なぜここに原発が建てられ、事故が起きたのか。政府や地域はどう関わったのか。国会の事故調査委員会に「明らかに人災」と指摘された、原発事故についての反省や教訓は、なぜか伝わってこなかった。

 被災した同館の解説員は「展示を毎日見ているが、こんなもんじゃなかったとの思いがある」と明かす。家を失い、避難生活は続く。復興は「まだまだ何も始まっていない」とも語った。

 原発事故について伝え、復興のために前を向く―。伝承館の展示はそんなスタンスに思えた。しかし前に進みたくても、今なお前を向けない人は少なくないはずだ。被爆後、「復興」の名の下に置き去りにされ、後障害や健康不安、貧困に苦しんだ多くの被爆者を思い、取り残される人たちのことが心配になった。

 広島への帰路、JR常磐線で東京まで戻ると、高層ビルの照明がまばゆく、福島の夜と対照的だった。

 福島から帰った後、伝承館で原子力PR看板の実物展示が決まったとの報に触れた。小学6年の時、看板の標語を考えた大沼勇治さんが、地元紙にこう語っていた。「原発を通じて東京の発展に貢献しながら、原発事故で避難を強いられた町民の無念を実物から感じ取ってほしい」

 今も同じ構図ではないか。「復興五輪」の名の下、目に見える復興ばかりが急速に推し進められる一方で、原発事故による人々の痛みや教訓が忘れられていく―。そんな構図は生んではならない。

 「ほかの誰にも同じ思いをさせてはならない」「過ちは繰り返さない」。そんな思いから広島の被爆者はつらい体験を後世に語ってきた。過ちを伝え、考え続けることこそが「伝承」なのだと改めて胸に刻んだ。

(2021年3月4日朝刊掲載)

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