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「私は広島人」8・6式典へ SNSで話題 ジョージア外交官レジャバさん

約30年前 東広島で生活4年 恩人の「あの日の記憶」胸に

 「シュクメルリ」というジョージアの伝統料理を牛丼チェーン店で食べて絶賛する姿がツイッターで話題の同国の駐日臨時代理大使ティムラズ・レジャバさん(32)。実は幼いころ東広島市に住んだことがあり、自らを「広島人」と呼ぶ。今夏、平和記念式典に初参列を予定する。当時の暮らしを支えてくれた「恩人」から聞いた原爆の体験を胸に「平和を紡ぐ責任がある」と語る。(高本友子)

 欧州とアジアの境に位置するジョージア。レジャバさんは巧みな日本語と庶民的な店で食事をする姿が評判でツイッターのフォロワー数は4万1千人。駐日大使の中でトップだ。

 「広島人です」。2月、レジャバさんがツイッターでつぶやいた。父アレキサンダー・レジャバさんが広島大(東広島市)に留学したのを機に、4歳から8歳まで同市で過ごしたという。

 来日は「奇跡のような」縁だった。旧ソ連から1991年に独立したジョージアはその前後から混乱を極めていた。当時、日本とは国交がなく、電話も通じず手紙も送れなかった。その中でアレキサンダーさんの留学に尽力したのが同市で産婦人科を開業していた角谷哲司さん(88)だ。

 遺伝学の研究者でもあった角谷さんは84年、同じ研究者だったレジャバさんの祖父と会い、アレキサンダーさんの留学の手助けを頼まれた。しかしその後、連絡もできず打つ手がない。

 85年、角谷さんが旧東ドイツの学会に向かっている時、奇跡は起きた。飛行機の隣席にジョージアの首都トビリシに向かう広島大の教授が座った。角谷さんはその教授に名刺を渡し、レジャバさん一家への連絡を頼み込んだ。やっと留学の手続きが進展。一家の運命が大きく変わったという。

 8月6日の式典へ参列したいのは、角谷さんにあの日の体験を聞いてからだ。

 旧制広島一中(現国泰寺高)2年だった角谷さんは学徒動員で広島市中心部に行くはずだった。しかし急きょ休みになり、生き延びた。レジャバさんは「来日できたのは奇跡が重なったから」と改めて実感したという。そして自分に「平和を紡ぐ責任がある」とも。

 式典には国の代表として初めて参列したいと願う。「平和な時にこそ私たちは努力すべき。広島での悲惨な出来事もほんの76年前のこと。歴史に学ばないと」

(2021年3月7日朝刊掲載)

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