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社説・コラム

『今を読む』 岡山理科大准教授 札埜和男(ふだの・かずお) 「笑える」平和教育

広島の皆さん どう考えますか

 「徒然草ゆかりの〈仁和寺にある法師〉の舞台、イメージできるかな」

 講義で必ず聞く質問だが、うなずく学生はまずいない。京都の高校で教育現場に長年携わり、4年前から岡山の大学で主に国語科教育法を教えている。古典では本文からイメージを立ち上げられるかが重要だが、関西以外の地域の教員はどのような工夫をしているのだろうか。

 「8月6日になると、黙禱(もくとう)しようという気持ちになります」。私のゼミにいる広島出身の学生の言葉である。他県出身者と、平和に対する意識の違いを感じると言う。被爆の歴史があり、戦争を他地域より身近に感じられると思われる。8時15分の原爆投下時刻をすぐに言えるのは広島出身者ならではだろう。

 高校の現場にいる頃、文学教材による平和教育を実践してきた。最も工夫したのは「当事者性」である。「平和は大切」「戦争を繰り返してはいけない」といった飽き飽きするような感想ではなく、いかに「自分ごと」として考えさせることができるか。文学や芸術は、戦争を受け止めやすくする装置である。

 イラクやアフガンといった戦地の取材経験が豊富なジャーナリスト西谷文和さんを教室にいつもお招きした。「黒い雨」などを一緒に読み解くと、戦争を肌で感じているせいか、読み方がリアルで気付かされることが多かった。

 岡山県立高校にいる宮田拓さんという優れた地歴公民科教員は「明るく、楽しく、笑える平和教育」を提唱する。生徒の多くが、反射的に「怖くて、つらくて、痛くて、遠ざけたい」と反応する平和教育の現状を何とかしたいと考えるからだ。つらかったことばかり聞かされて追体験し、「平和は大切なことだ」と声を張り上げられても、生徒は気がめいるだけだと述べる。

 「今の平和教育は事実を見ようとするあまり、人間が見えなくなっている。幾重にも塗り固められた『怖くて、つらくて、痛い』事実を示されても、生徒は平和に携わろうと思えない。残酷な映像にも食傷気味で、命が奪われたリアルさを前にすると思考停止に陥る」と指摘する。

 宮田さんが戦争体験者を教室に招く際、戦時中の楽しかった思い出も語ってもらうらしい。つらさ100パーセントではなく、1パーセントでも心緩む時間があれば、生徒たちも事実を受け入れやすくなるという。

 岡山大空襲で焼け残った数少ない江戸期の建築物に、岡山神社の随神門がある。住民による必死の消火活動で守られたといい、宮田さんは生徒に「当時生きていたら、あなたは消火活動に参加するだろうか」と問い掛けるそうだ。

 「戦争は怖くて、つらくて、痛くて、遠ざけていた」生徒の1人が感想を書いている。「当時はその中でも日常の幸せや今の自分たちと変わらない思いがあったのが知れたことで、平和という言葉に少し実が詰まったように感じた」。過去と現在を行き来した証しだろう。

 前述の西谷さんの話も戦争一辺倒ではなかった。だから、生徒全員が食い入るように耳を傾けたのだろう。武装集団の目を欺くために女装をした話、反政府軍のアジトが散髪屋の2階だった話、そこで過ごした一晩にロケット弾23発が飛んできても兵士は「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫んで再び寝入った話など、随所に笑い話があった。落語家などと「国境なきお笑い団」を組んでイラクを訪ねた映像も、笑わずには見られなかった。

 西谷さんも宮田さんも口をそろえる。「戦争が駄目なのは当たり前。祈るだけで平和は来ない。なぜ戦争が起きたのかを考えることが大事」

 事実で追い詰める平和教育では、やればやるほど生徒の心は離れていく。ひいては、原爆資料館の訪問者数を左右するのではないか。

 西谷さんはよく、こんな問いを生徒に投げかけていた。「体にダイナマイトを巻き付け、自爆テロを図る若者が目の前にいる。あなたは、どう説得しますか?」

 平和学習の時間が恐らく全国一長い広島の高校生は、何と答えるのだろうか。

 大阪府生まれ。京都府の国公立高での教員を経て17年4月から現職。研究分野は国語科教育、法教育、方言学。20年、オンライン高校生模擬裁判選手権を研究室で主催。著書に「法廷における方言」(和泉書院)など。

(2021年3月16日朝刊掲載)

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