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反戦の思い 200首に託す 廿日市の故服部さん歌集 原爆資料館に近く寄贈

やけど・脱毛…自筆で刻む

 爆心地から約1キロの広島市水主町(現中区)で被爆した体験を趣味の短歌に詠み、1999年に69歳で亡くなった服部笑子さんの歌集が近く、原爆資料館(中区)に寄贈される。子や孫に原爆の悲惨さを伝えようと、二百余首を自らしたためた手作り品。反核に向けた強い思いがにじむ。(田中美千子)

 <背に足に地図のごとくに貼りつきし被爆の刻印皺(しわ)みゆくなり>

 1首目では、自らの体に刻まれたやけどの痕を詠んでいる。短歌と書を好んだ服部さんが残した、唯一の歌集。大部分は印刷機を使わずに筆で書き、巻末に活字版の短歌を再掲した。96年8月に著した後書きも添えてある。寄贈を決めた義理の娘の森洋子さん(78)=大竹市=によると、5、6冊を手掛け、親族に配ったのだという。

 服部さんは市立第二高等女学校(現舟入高)の2年生だった15歳の時、学徒動員先の飛行機部品工場で被爆し、全身に大やけどを負った。後書きなどによると、トラックに拾われ、廿日市市の自宅に帰り着いたものの生死をさまよい、近所の軍医に「明け方までの命」と宣告されたという。

 奇跡的に一命を取り留めたが、脱毛や紫斑などの急性障害に苦しんだ。当時の心境も詠んでいる。<櫛(くし)すけばざっくり抜ける髪の束におののき泣きし十五の夏><再びは並の体に戻れぬと慟哭(どうこく)したり暑き熱き夏の日>

 50代から再びがんなどの病を患い、歌集も闘病中に編んだ。後書きに「奇跡に命を得たゆえに、渾身(こんしん)の力で戦争否定をしよう」「平和な日本であり続けるために、私は子々孫々に書き残したい」と記す。題字「夕焼の修羅」は、夫信三さん(2009年に91歳で死去)の書。夫婦で製本に励んだようだ。

 笑子さんは完成から約3年後、信三さんにみとられ、廿日市市の自宅で亡くなった。森さんは「母が平和への思いを託した歌集。後世に引き継ぎたい」と話す。寄贈後は資料館の情報資料室で当面、新着資料として開架されるという。

(2021年3月16日朝刊掲載)

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